☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第164回 典座教訓てんぞきょうくん言葉ことば更新 2025年4月
          
 『座云ぞいわく、他は れにあらず。 座云ぞいわく更にいずれの ときをか待たん』
 
 【典座教訓てんぞきょうくん】 

 これは道元禅師の 「典座教訓てんぞきょうくん」の中にある言葉です。
 典座てんぞというのは、寺院で修行している僧侶たちの食事をつかさどる職名です。
 食事係というと低い役目のように思われますが、じつは昔から道心の深い僧や菩提心をおこしたすぐれた人たちがつとめてきた職なのです。
 道元どうげんは、この職のいかに大事であるかを身をもって体験し、こまごまと その心得を説いています。
 しかるに日本では、仏法の名を聞くことはすでに久しいのに、食べものを作法どおりに作るなどということは、だれも教えていないと、 道元どうげんなげいています。
 さて、道元が体験したというのは、「典座教訓」のなかに、次のように記されています。
 「わたしが天童山にいたときに、用という人が典座教訓をつとめていた。
 わたしがちょうど昼の食事のあと、東の廊下を通ってお堂にゆく途中、用典座が仏殿の前でしいたけを干していた。
 手には竹杖をたずさえ、頭には一片の笠もかぶっていない。
 しかも天日は熟し、しきがわらは焼けつくようだ。 あせがたらたら流れるけれども、精を出してシイタケを干している。
 いかにも苦しそうだ。背骨は弓のようにまがり、大きな まゆは鶴のように白い。
 わたしはそばへ行って 年齢ねんれいをたずねた。
  典座てんぞが言った。『六十八歳』
 わたしが言った。『どうして下役や人足をお使いにならないのですか』
 典座は答えた。『人にやってもらっては自分がしたことにならない』
 わたしは言った。『ご老人ろうじんあまりにまじめでいらっしゃいます。日ざしもこんなに熱いのに、どうしてこんな苦労をなさるのですか』
 典座てんぞは答えた。
 『熱いといって、今でなくて、いったいいつシイタケを干す時があるのか』と。
 わたしはくちをとじるよりほかはなかった。」
 
 まったく私たちもこれには口をとじるよりほかはありません。
 いま、この自分、これを抜きにしてどこに真実があるのでしょう。
 それを私たちはいつも「明日になったら」と考えて、向こうへ押しやっているのです。
 また、だれか他の人がやってくれるかのように考えて、自分のつとめをおろそかにしています。
  親鸞聖人しんらんしょうにん
  「弥陀五劫思惟みだごこうしゆいがんをよくよく あんずれば、ひとえに 親鸞一人しんらんいちにんがためなりけり」と申されました。
 また、「あいがたくして いまあうことをえたり」と申されました。
 ここには深く相通ずるものがあります。  



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