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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第172回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2025年12月
(43) 明応六年の霜月
明応六年十一月、報恩講に御上洛なく候あひだ、法慶坊御使として、当年は御在国にて御座さふらふあひだ、御講をなにと沙汰あるべきやと、たづね御まうし候に、当年よりは夕の六どきをかぎりに、 みな退散あるべしとの御文をつくらせて、かくのごとくめさるべきよし、御掟あり。
御堂の夜の宿衆も、その日の頭人ばかりと、御掟なり。
また、上様は七日の御講のうちを、富田殿にて三日御つとめありて、廿四日には大阪殿に御下向にて御勤行なり。
【意訳】
明応六年十一月の報恩講には、蓮如上人は御上洛せられないので山科に居られる実如上人は法敬坊をお使いにたてられて「当年はそちらに御在国なされて御上洛なさらないとのことでありますが、報恩講は どんなにつとめたらよろしゅうございましょうか」と上人の御指図を仰いだところ、当年からは夕の六つ時から朝の六つ時までのうちは参詣を停止して
退散
(
たいさん
)
あるようにという御文をつくらせられて「このとおりにおつとめなさるように」と仰せられた。
「御堂の泊番のものも、その日の当番にあたった
頭人
(
とうにん
)
だけ泊まって守護するように」との仰せであった。
また、蓮如上人はこの年は一七ケ日の報恩講のうち、始めの三日間は富田の教行寺でおつとめになり、二十四日には大阪の御堂へ御下向になっておつとめになった。
【解説】
応仁の乱からのち、その頃にかけて世上は兵乱で騒々しい折柄であったので、何事も質素に控えめになされたのである。かつ、明応五年の秋から大阪の御堂の建立にとりかかられたので、この明応六年の報恩講には 御上洛なさらなかったのである。
上人は偏執のやからが厄介な難題をもちかけることのないように、万事細かいところまで用心された周到なことがわかる。
『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
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本願寺出版社
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