☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第87回 見開かれたよろこび 更新 平成30年11月
          
ひがたくしていま うことを たり』 

         【「教行信証」】

 人生じんせいには、さまざまな 出会であがあります。
との出会い、 ともとの出会い、自然との出会い、社会との出会い、音楽との出会い、 演劇・絵画・映画との出会い、一冊の本との出会い、さらには病気との出会い、そして、自分との出会いなどがあり、それぞれの人生において 深い意味をもつものでありましょう。
 ところで、 出会であいの 類語るいごとして 邂逅かいこうという 言葉ことばがあります。
 手元てもと辞書じしょには、 邂逅かいこうとは、 おもいがけなく 出会であうこと、めぐりあうこと、まれなさま、とあります。
 亀井勝一郎さんは 「邂逅かいこう開眼かいげんをもたらす。それまで見えなかったものがあきらかに見えてくる。
 そして  同時どうじにここに人間の 転身てんしんということが起こる。
人間にんげん生涯しょうがいのうちに何回か転身を せまられて、はじめて、人間として 形成けいせいされるのであるが、この転身の  動機どうきになるのが、実に 邂逅かいこうである。」
と記されています。
 思えば、 親鸞聖人しんらんしょうにんは、 比叡山ひえいざんでの学と行を て、人間の 赤裸々せきらら実態じったいをごまかすことができなくなり、 聖徳太子しょうとくたいし示唆しさによって 法然上人ほうねんしょうにんにめぐりあわれ、 生涯しょうがいにただ一度の決定的な 開眼かいげん転身てんしんを体験されたのでした。

 『親鸞しんらんんにおきては ただ 念仏ねんぶつして 弥陀みだにたすけられまいらすべしと、よきひとの おおせをかぶりて信ずるほかに別の 子細しさいなきなり』
             【「歎異抄」】

 親鸞聖人しんらんしょうにんはよきひと 法然上人ほうねんしょうにんおおせをこうむって【身にうけて】真実のめざめの世界に 転身てんしんすることができたと げられています。
 そして、法然上人とのめぐりあいは、ある時、駅前でAさんとBさんが ったというレベルのものではなく、よきひとを つらぬとおしてはたらきどおしである真実・まこと・すなわち 阿弥陀如来あみだにょらい本願ほんがんとのめぐりあいであったというところに 決定的けっていてきな意味があるといわねばなりません。
 そこで、 親鸞聖人しんらんしょうにんはほんとうのめざめをもたらせた真実・まことの 伝統でんとうに驚きと 謝念しゃねん表白ひょうびゃくされたのが 「よろこばしいかな、 西蕃せいばん月支げっし聖典しょうてん東夏とうか日域じついき師釈ししゃくに、 ひがたくしていま遇うことを得たり【教行信証】」の言葉であります。
  「いがたし」とは驚きの言葉であり、ありえないものがありえたという 謝念しゃねんのこころです。
 聖人しょうにんはまた かたいことを 「もうあいがたく」とも げられています。
 大いなるものとの出会いに最高の価値を見開かれたよろこびのこころです。
 私たちもまた、 人生じんせいのさまざまなめぐりあいを思い、やがて決定的な 邂逅かいこうのめざめの世界に よろこぶ人間に成らせていただきたいものであります。
 まことに、人生は大いなるめぐりあいへの おどろきと 謝念しゃねんであります。
                       


※『真宗法語のこころ』 中西智海
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