☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第83回 のりこえてきる道 更新 平成30年7月
          
円融至徳えんゆうしとく嘉号かごうあくてんじて とく正智しょうち
         【「教行信証きょうぎょうしんしょう」】
 
 念仏ねんぶつ人生じんせいに意味を与えるものであります。
 よく「この 人生じんせいに、生きるだけの意味や理由があるのか、だれか教えてほしい」
という言葉に接することがあります。
 しかし、この発想はっそう転換てんかんされるべきであります。
 人生に、はじめから意味があるのなら生きてみよう、もし意味がないのならやめておこうという発想はどういうことになるのでしょうか。
 人生に、はじめから意味があるか、ないかを問うのではなくて、この二度と同じかたちではくりかえしえない人生を意味づけて生きる道を 見出すことが肝要なのであります。
 このことに気づかされる時、この 法語ほうごは深いこころを教えてくだされているといわねばなりません。
 念仏は人生に深い意味を与えると述べましたが、なぜなのでしょうか。
 それは念仏は 「円融至徳えんゆうしとく嘉号かごう」であるといわれるのです。
 すなわち、まどかな「まこと」であるからであります。
 「まこと」は、つねに「まことでない世界」を見出して、「まこと」に てんじかえ す「はたらき」をもちます。
 ですから、まどかな「まことのはたらき」である念仏は、悩み深いこの人生に「まことの意味」を与えてくださるのであります。
 人生は晴れの日もあり、雨の日もあり、暖かい日もあり、寒い日もあります。
 すなわち 順縁じゅんえんもあれば 逆縁ぎゃくえんもあります。
 もし人生を外から眺めて「ねうち」をつけるならば、雨の日より晴れの日が、寒い日より暖かい日が、そして逆縁より順縁が「よい」のに決まっています。
 しかし、人生の意味ということになりますと、晴れた日は晴れた日の、雨の日には雨の日のよさ、ありがたさがうなずけるのであります。              
 順縁にも逆縁にも、意味づけをして輝きを見出すことができるのです。
 病気びょうきには 病気びょうきあじわいがあり、 わかれには わかれの かなしみを てんじた深い人生のありがたさがうなずかれることであります。
あくてんじて とくす」とはまことに深い「いわれ」と「こころ」があります。
 この転じかえ成す「転成」の「はたらき」は、知識からは生まれないのです。
 それは智慧ちえの「はたらき」なのです。
 まことに、人生は、念仏によって立て直されてゆくものなのです。
 どのような逆縁をも、苦しみも悩みも、必ずのりこえられてゆく道となるのであります。
 「苦しみはのりこえるためにこそある」という言葉を思い出しましたが、念仏は「乗りこえる道」を歩ませていただく、まことの「はたらき」なのであります。
 念仏とともに歩みゆく道は泣き寝いりの人生ではなく、「のりこえて生きる」 無碍むげ一道いちどうなのであります。
                        


※『真宗法語の こころ』中西 智海
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