☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第75回 ええ所へ生まれる?*往生浄土おうじょうじょうど  更新 平成29年11月
          
 ある日のお葬式のことです。悲しみにくれるご遺族の方がたが、 亡骸なきがらに花を添えて、もう一度「最後のお別れ」をしておられます。
そのとき、ご遺族いぞくの内のある方が、亡くなられた方の耳元に向けて、 こうおっしゃいました。
「ええところへ生まれていきや!」
ご病気などで苦しまれて亡くなられた方などの場合、ご遺族は「もう苦しまなくてもよいのだよ」との思いを告げようとされておられます。
ですから、この「ええところ」「よいところ」という言葉には、この世で経験したような苦しみがない「楽なところ」という意味が込められているようです。
 また、若くして亡くなられた方の場合、ご遺族は「残りの人生を まっとうさせてあげたかった」という思いで一杯でありましょう。
ですから、「ええところ」という言葉には、「楽しい世界」というような意味が含まれているようです。
 いずれも、ご遺族の心中の思いを察すれば、当然のことでありましょう。
一般的に語られる天国や極楽浄土のイメージは、これらの思いからできたものに違いありません。
 けれども、これだけに終わってしまっては、生きている私たちの現在に関わるとは言えません。
「死んでからいくええところ」だけでは、今の私には関係ないということになってしまうのです。
 子どもさんを亡くされた女性が、
「あの子はいったいどこへいったのでしょうか?」
と、ある先生に質問されました。その先生が、
「あなたはどこへいきたいのですか?」
たずねられると、じっと考えておられたその女性は、
「子どもと同じところへいきたいんです」
とおっしゃいました。
すると、先生はすかさず、
「仏さまにならなくては、誰れがあなたの子どもかわかりませんよ」
と述べられました。
この言葉を聞いて、その女性は 仏法ぶっぽう聴聞ちょうもんされるようになられたそうです。
 私たちがお浄土に生まれ往く【往生浄土】ということは、そのまま仏さまになるということであります。
そうだからこそ、お浄土は、今の私に関わった世界といえるのです。
 仏教は「仏の教え」であるとともに「仏に成る教え」であると言われます。
釈迦しゃかさまが 出家しゅっけされたのは、悟りを求めてのことでした。
悟りとは、真理に目覚めることと言えるでしょう。
その目覚めた方を仏さまと言います。
お釈迦さま以来、仏教の教えを聞く人びとは、それぞれ、国や歴史は違っていても、自らが人間の苦悩の根本を解決する真理に目覚め、 同時に他の人びとを いつくしむこと、すなわち仏さまに成ることを目的とされました。
 しかし、私たちは、どれほどこの「仏に成る」ことを望んでいるでしょうか?
悩んでも苦しんでも、その苦悩を造る根本を見ようとせず、ただ目の前の悩みや苦しみが解決さえすればよい、つまりは、自分が「楽になりたい」 「楽しければそれでよい」と思うだけであります。
そういう思いの延長線上だけで、お浄土を想えば、お浄土とは「死んでからいくええところ」でしかありません。
今の私を見つめ、「仏に成る」ということを離れては、お浄土の世界も意味がありません。

                          

※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 0120-464-583
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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