☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第73回 見えないほこり*罪悪深重ざいあくじんじゅう  更新 平成29年9月
          
 二十歳前後のころでしたか、ある先生から、
「悪いとわかっていながらする悪いことと、知らずにする悪いこととどちらが罪が重いと思いますか?」
という質問をされたことがあります。
 それはもう考えるまでもない、悪いと知っていながらすることの方がずっと悪いに決まっていると思いました。
けれども、その先生は、
「それは、反対です。」
とニコニコしながらおっしゃいました。
 確かに悪いとわかっていながら行なうことの方が刑罰や道義上の責任は重いかも知れません。
しかし、悪いと知っていながらすれば、悪いことをしたという意識が必ずどこかに残っています。
そして、
「あんなことをしなければよかった」
と後悔するか、もしくは、
「あれはしかたがなかったのだ」
と開き直るしかありません。
いずれにしても罪の意識に さいなまれています。
交通事故にたずさわる 鑑識警察官かんしきけいさつかん
「ひき逃げ犯人は、心のどこかで早く つかまえてほしいと思っているものです。」
と言われ、「だから犯人自身のためにも早く 逮捕たいほしなければ」と言っておられたことと思います。
 けれども、自分が気づかないうちに行ってしまった悪いことには、悪いことをしたという意識がありません。
ですから、いることもありません。
言葉をえると、 後悔しなければ、人は悪いと感じないとも言えるでしょう。
自分が悪いと気がついていないことはたいへん恐ろしいことではないでしょうか。
 たいていの場合、自分が正しいと思っているもの同士が、争いになるものです。
「これだけしてやっているのにあいつはわかっていない」
とか、 
「ここまで 辛抱しんぼうしてやっているのに」
というように、「自分は悪くない」もの同士が争うのでしょう。 
 私たちは、知らないうちにどれだけ人を傷つけているでしょうか?
気づかないうちにどれだけの悪を行なっているでしょうか?
 人間が罪深いとか、凡夫ぼんぶであるというのは、 自分で悪いと思っている程度のことを指していわれるのではありません。
 最近はサッシの雨戸が多いですが、かつては木の雨戸がありました。
ふとんをあげているとき、朝日が木の雨戸の節穴から れてきます。
細長い光の中に、無数のチリが舞い上がっている光景を見たものでした。
光が入っていないところは何も見えないのに、光があたっているところを見れば、こんなにほこりやチリがあったのかと 驚かされます。 
 仏さまの光に照らされれば、きっと自分では気がついていない、想像もできないような無数の罪深い行為とその結果があるのだと感じられます。
 そして、同時にその無数のほこりやチリは、温かい光に包まれているのです。
ほこりやチリの量に驚きながらも、節穴からこぼれる光の美しさ・温かさを感じたものでした。
 仏さまに照らされて罪深さを なげきながら、
それだからこそ救うという仏さまの お慈悲じひいだかれている よろこびがあるのです。
また、仏さまに抱かれている慶びがあるにもかかわらず、自分中心から離れられないという歎きがあるのです。
このように慶びと歎きとはワンセットなのです。
                              

※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 0120-464-583
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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