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法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第69回
おてんとうさまの光*
他力の信心
(
たりきのしんじん
)
更新
平成29年5月
自分の心を
拠
(
よ
)
りどころにして、仏さまを信じようとする限り、 際限のない「疑いの旅」は終わらないと前項で述べました。
私たちは、「われにまかせよ。必ず救う」という仏さまの願いを聞こうとせず、
「仏を信じている心が自分にあるか」と自分の心を見ようとします。
それは、仏さまの方を見ているようで、実は自分の方しか見ていません。
「死んだらどうなるか」
「覚悟はできているか」
「仏は本当にいるのか」
などと自分の心を点検することに掛かりはてているのです。
自分の心を自分で点検して、何らかの納得を得ようとする限り、仏さまを信じているのではなく、自分の心の納得具合を信じているか、 もしくは信じようとしていることにしかなりません。
ともすれば、固く信じることができてこそ、信心だと思われているようです。
宗教というと、何か恐ろしいものというイメージが持たれるのは、この「こわばった信仰」という点ではないでしょうか。
「まだ信じられません。」
というと、
「それはあなたの信心が浅いからだ。私のようにもっと信じなさい」
と強い口調で言われ、もっと自分の心を固めることを勧められたりすると、自分とはまったく別の次元の人のような感じさえ
抱
(
いだ
)
きます。
かつてある浄土真宗の信者さんが、全国各地の お
同行
(
どうぎょう
)
を訪ねていかれるということがありました。
その方は、十九歳のときに、
「この胸のクシャクシャした思いをはっきりしたい。たしかに浄土真宗の信心をいただかなかったならば国には帰らない」
との決意のもとに、日本各地のお同行を訪ねる旅に出られました。
一番最初に訪ねられたお同行のところに四日間滞在され、次のところに出立されようとしたとき、そのお同行が雪の中を追ってこられて、 こうおっしゃったそうです。
「お前さまは、信心をいただかないと二度と国に帰らないと言われたな」
「はい。そうです」
「この先、どこまで行かれるか知らないが、『いよいよこれで得られたな』というものができたなら、
親鸞
(
しんらん
)
さまと
仏縁
(
ぶつえん
)
が切れたと思いなされ。
もとのすがたで帰ったならば、
阿弥陀
(
あみだ
)
さまのご本願のおめあての 通りであるから、親鸞さまもさぞかしお喜びでありましょう」
浄土真宗の信心は、理解して納得した自分の心境ではありません。
ご法話を聞いて感動し、有り難い心境になって、
「自分の信心は、これで間違いない」
といくら思ったとしても、自分の心の気分次第で、たやすく「なんともない」心境に変わってしまいます。
こんな時、「なんともない」心境に不安を感じ、
「私の信心は、まだまだだめだ」
と思うのも、自分の心境を拠りどころにしているからでしょう。
わたしの信心雪だるま
オテントさま出りゃ
すぐとける
という
木村無相
(
きむらむそう
)
先生の詩がありますが、阿弥陀さまの光に照らされたなら、 私がつくった信心は、聞けば聞くほど残るところもなく溶けてしまうという意味でしょう。
「間違いない」は私の心境にあるのではなく、阿弥陀さまにあるのです。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
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