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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第68回
疑いの旅*
信罪福心
(
しんざいふくしん
)
更新
平成29年4月
夜寝る前に、今日一日の出来事を思い返すことがあります。
印象深い会話等があったときなどは、その会話の一つひとつを
辿
(
たど
)
ってみることもあるでしょう。
「あんなふうに言わなければよかった。そんなつもりではなかったのに」
と自分の態度や言葉を反省することもあります。
そこにはおのずと、そのときの自分とそれを判定しているもう一人の自分とがあることになります。
私たちは、折に触れて自分の言動を評価・判定したり、自分の性格はこういう性格だなどと考えていますが、それを判定しているもう一人の自分については、 意に
介
(
かい
)
することがありません。
知らず知らずのうちに、もう一人の自分は冷静で正しい判断ができるものとしているのではないでしょうか。
ところが、時として、判断がつかなくなるような場合、もう一人の自分そのものが問題になります。
例えば、年来の親友から借金を頼まれたとしましょう。彼は誠実で信頼できる人物ですが、不慮の出来事で、お金に困っていて、彼の家族の生活も危ぶまれる状況です。
親友に打ち明けるのは、よほど思い余ってのことに違いありません。
かといって、もちろん、こちらにも余裕があるわけではなく、あげるつもりで彼にお金を貸すことは、こちらの家族の生活もどうなるかわかりません。
彼を見捨てるか、自分の家族への責任を放棄するか、いずれにしても自分が傷つかずにはすみません。
このように、単純にこの行為は善で、その行為は悪と判断ができない自分が
露
(
あら
)
わになると、そのどちらかを判断したもう一人の自分が問題になってきます。
すると、決断したもう一人の自分に対し、それで良かったのかと判定し評価する、さらにもう一人の自分が現われてくることになります。
またさらにそれを判断するもう一人の自分が・・。
ということは、私たちは、自分のなかに際限のないもう一人の自分を持っていることになります。
そうなると、いかに判断をくだすもう一人の自分とは、さらに判断をくだされる側ともなり、いかに絶対的なものではないかが明らかになります。
これを行ったから良い結果が出て、これは悪いことになるというのは、あてにならないもう一人の自分を基準にして決断したことにほかならず、 果たして正しいかどうかはよくわかりません。
ただ「しかたなかった」と無理にでも納得しようとするだけかも知れません。
私たちが、このあてにならない自分を基準にして、仏さまを信じようとする限り、仏さまは私にとって絶対的な存在にはなり得ません。
仏さまを信じていると判断したもう一人の自分に対し、本当に信じているのかと、さらなるもう一人の自分がチェックすることになり、際限のない「疑いの旅」が 始まります。
「信じているに違いない」
と無理に納得しようとしても、この旅は終わりません。
しかも、自分を
拠
(
よ
)
りどころにして信じている仏さまは、自分が想定した仏さまでしかなく、仏さまとは いえないでしょう。
この自分とは際限のないもう一人の自分との関係が突破された
出遇
(
であ
)
いこそが仏さまとの出遇いです。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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沢山の法話が聞けます。ぜひ一度聞いてみて下さい。
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一このたびのこのご縁は
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