☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第66回 むずかしい話*聴聞ちょうもん  更新 平成29年2月

 仏教のお話を聞く場面でよく耳にするのが、 
「今日の話はわかりやすかった」
「むずかしい話は居眠りが出てかなわんからなあ」
という会話であります。
いったいわかりやすい話とは、どういう話なのでしょうか?
もちろん、話し手の上手じょうず下手へたは関係するでしょうが、退屈しなかったことがそのままわかったということには ならないように思います。
 それではわかりやすかったとは、自分の心に落ち着いた、納得できたということでしょうか?
けれどもちょっと意地悪いじわるく見れば、
「自分にもそんな経験や思いがあるぞ。なるほどなるほど」   
うなずく部分があったからわかりやすいと感じただけで、仏教の大切なところに 頷いたのかどうかは別なのではないでしょうか。
 では反対に、むずかしいと感じるのはなぜでしょうか?
確かに仏教用語はむずかしいものです。難解な用語を並べ立てて話をされたら、嫌気いやけが さすことも事実です。
けれども本当は、用語のむずかしさより、お浄土・阿弥陀あみださま・ ご本願ほんがんという目に見えない世界やはたらきが自分の心身に落ち着かないから、 むずかしいと感じるのではないでしょうか?
 自分の経験や判断で納得できたからわかりやすい話、納得できないからむずかしい話、となれば、教えを聞くことにはなっていないでしょう。
「仏さまはお浄土の世界からつねに私を照らされる」
という話は、本当かな、どうも納得なっとくできないけれども、 「人間とはどうしようもない煩悩ぼんのうをかかえている」
という話は、なるほどその通りとわかった気がするというのであれば、どこまでも自分の経験けいけんや 判断の基準でしか教えを聞いていないことになるでしょう。
 そもそも仏法ぶっぽうの教えとは、私たちの経験や判断を超えた世界を説くものです。
だからこそ、それまでの自分の生き方や考え方を少なからず方向転換させられるのです。
それが教えに出遇であうということであります。
 納得したところのみを取り、納得できないところを捨てるというような、自分のものさしで教えを取捨する 聴聞ちょうもんでは、いつまで経っても教えに出遇えないのではないでしょうか。
 なぜ納得できないかを自分に問い、納得できないのは自分のほうが間違っているのではないかと問い続けることが大切に思えます。
教えを取捨するのではなく、自分を教えに合わすことが聴聞の姿勢と言えるでしょう。
 浄土真宗は聴聞にきわまると言われますが、お話を聞くにせよ、本を読むにせよ、 自分のあり方が問題にならないと意味がありません。
自分のものさしで教えを聴聞していても、知識として理解しているだけでしかありません。
そのものさしが崩れるところにこそ仏法との出遇いがあるのです。
また、自分自身が問題にならず、あれも知っている、これも聞いたことがあるというふうに聴聞を誇るようになってしまっては、なんともさびしい感じがします。
物知り同行どうぎょうという嫌な言葉もあります。
真宗の聴聞とは、私を見抜き「われにまかせよ!」という阿弥陀さまの 南無阿弥陀仏なもあみだぶつのよび声を聞くこと以外にありません。


※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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