☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第65回 みんなのお湯*勝易二徳しょういにとく  更新 平成29年1月

 一般に持たれるお坊さんのイメージからでしょうか、
「お坊さんになられるのは大変でしょう。どのくらい修行されたのですか?」
と尋ねられることがあります。答えようがなくて、
「真宗では修行というものはありません」
と言いますと、
「えっ、何もないんですか?」
と拍子抜けような顔をされます。
「いや、まあ、その・・・、得度とくどや住職の資格を得るのに、 厳しい研修はございますが・・・」
などと言葉をにごしていますと、
「大変なのでしょうね」
とかえって納得したような顔をされて困ってしまうことがあります。 
この世のあらゆるものを捨てて行う厳しい難しい修行は、誰にでもできるものではありません。
ですから、そんな難しい修行を完成された方は、強い意志によってたゆみない努力をされたすばらしい方に違いありません。
そこで、私たちは、難しい修行はすぐれた ぎょうであり、勝れた行とは誰にでもできない難しい行のことだと考えています。
けれども、確かに難しい修行をされるのは勝れた方であるに違いありませんが、行そのものについていえば、難しいから勝れた行であるとは いえないように思うのです。
難しいから特定の人にしかできないのならば、それは勝れた行とはいえないのではないでしょうか?
言い換えれば、どんな人であっても、行うことのできるやさしい行であるからこそ、 その行は勝れた行といえるのではないでしょうか?
こんなたとえ話があります。 
ある村に一人の行者ぎょうじゃがやってきて、村のあちこちで不思議な力を 発揮し始めました。
この村は、真宗のご門徒ばかりでしたが、またたく間に村人の半分は、 この行者の信者になってしまいました。
そんなある日、行者は、村の真ん中に大きな風呂を用意し、たくさんのたきぎいて熱湯をき立たせました。
村人たちが、何事が始まるのかと集まってきた頃合いを見計らって、「えい!」という気合いもろとも、行者はその熱湯の中に身を投げ入れました。
みなが「あっ」と驚いた瞬間、行者は涼しい顔をして立ち上がり、悠然と風呂から出てきて、村人の中にいた真宗の住職を指さしました。
次はお前だと言わんばかりでありました。
村人が「うちのご住職にあんなことができるのか?」と不安げに見ていると、住職はにこにこ笑いながら、風呂釜に近づいていきました。
熱湯をじーっと見ていた住職は、着物を脱いで、
「誰か冷たい水をもってきておくれ」
と言いました。
やがて、持ってこられた水桶を、頭の上に差し上げた住職は、自分にかけるのかと思いきや、熱湯の中にザアーザアーと入れてかき混ぜると、大声で、
「さあ!ええお湯かげんじゃ。みんなで一緒に入りましょう!」
と言って、村人たちを招きよせたのでした。
熱湯の風呂釜に入るのは誰にでもできることではなく、ある特定の人にしかできないことです。
けれども、その特定の人が勝れていても、熱湯が勝れているわけではありません。 
誰れもが風呂釜に入れる温かいお湯こそがすばらしいのです。
誰もができる易しい行であるからこそ勝れた行といえるのです。
それは、人が勝れているのではありません。
行そのものが勝れているのです。 
お念仏とはそういうものではないでしょうか?



※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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