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法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第64回
わたしにまかせよ!*
名号
(
みょうごう
)
更新
平成28年12月
浄土真宗では、他なる世界からのはたらきかけを
「よび声」と表現していると前項で述べました。
それは、
阿弥陀
(
あみだ
)
さまという仏さまは、私たちに対して、自らのお名前を 名乗ってよびかけられる仏さまだからであります。
つまり、阿弥陀さまとは「
南無阿弥陀仏
(
なもあみだぶつ
)
」という名前として活動される 「名前の仏さま」なのです。
ところで、今の若者にどうしてアメリカを「米国」というのか?と問うと、ほとんどの人が小首をかしげるようです。
「米国」「仏国」とは、
亜米利加
(
あめりか
)
・
仏蘭西
(
ふらんす
)
と表記した時代の
名残
(
なご
)
り であることは言うまでもありません。
このように外国の言葉を発音の似ている漢字で表記することを、音訳または音写と言います。
例えば「
奈落
(
ならく
)
の底に落ちる」の奈落とはナラカというインドの言葉の音訳で、
翻訳
(
ほんやく
)
すれば、地獄という意味です。
そして「南無阿弥陀仏」もまたインドの言葉の音訳なのです。
「阿弥陀」とは、前にも述べましたように、「限りがない」「はかることができない」という意味です。
ですから「阿弥陀仏」とは、人間の
思慮分別
(
しりょふんべつ
)
でははかることができない
智慧
(
ちえ
)
と
慈悲
(
じひ
)
を持っている仏さまであり、
光
(
ひかり
)
と
寿
(
いのち
)
が 限りない仏さまであります。
仏の放つ光に限りがないとは、「どこでも」ということで空間的無限を表しています。
また、仏の
寿
(
いのち
)
に限りがないとは、「いつでも」ということで時間的無限を表しています。
「南無」とは、まかせる・ゆだねる・
帰命
(
きみょう
)
するという意味です。
だから、「南無阿弥陀仏」をそのまま
翻訳
(
ほんやく
)
すれば、 「私は
光
(
ひかり
)
と
寿
(
いのち
)
が限りない 阿弥陀仏という仏さまに私のすべてをおまかせします」というような意味になります。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
までの浄土教では、この「私は阿弥陀さまにおまかせする」 「阿弥陀に南無する」という、私から仏さまへの方向が中心に述べられてきました。
ところが
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
のすばらしいところは、 「私は阿弥陀さまにおまかせする」というだけでなく、「南無阿弥陀仏」には、
「まかせよ阿弥陀に」
「南無せよ阿弥陀に」
という、仏さまから私への方向があることを明らかにされた点であります。
生まれたばかりの赤ちゃんが母親を
慕
(
した
)
って頼りにし、やがて、
「ママ」
とよぶようになるのは、母親が
慈愛
(
じあい
)
の心を込めて、何度も何度も、
「ママですよ」
と名乗り、よび続けていたからに違いありません。
それと同じように、「まかせよ阿弥陀に」というよびかけがあるからこそ、「阿弥陀におまかせする」ということが起こるのであります。
阿弥陀さまのお名前をお
名号
(
みょうごう
)
ともいいますが、 「南無阿弥陀仏」の六字でお名号といいます。
ただ単に仏のよび声だけであるのなら、「阿弥陀仏」だけでいいはずです。
しかし、「南無阿弥陀仏」でお名前というのは、そこに「まかせよ阿弥陀に」という私たちに対する名乗りの意味が込められているからなのです。
阿弥陀さまは、私たちを迷いの世界から救うために、「いつでも」「どこでも」南無阿弥陀仏と自らのお名前を名乗り続けておられるのです。
この私が、
「はい。おまかせします」
というまで・・・・。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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