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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第63回
よびかける声*
超世の願
(
ちょうせのがん
)
更新
平成28年11月
かつて、落語家の
桂枝雀
(
かつらしじゃく
)
さんが、 「死ぬの恐い病」ということをおっしゃっていたのを聞いたことがあります。
「死ぬの恐い病」とは、文字通り、死にたくない、死ぬのが恐いということで、そう思い始めると居ても立ってもおれなくなるという 状態になることです。
「一番最初は、お風呂屋さんに行くのに、自転車の荷台に洗面器を載せた瞬間に、なんとも言えず死ぬのが恐くて恐くてたまらなくなったのです」
と表現されていました。
私にも同じような経験があります。
小学校の二年生のときに、座敷に寝ころんで、目の前の黒い火鉢を
何気
(
なに
)
げなく 見ていたのですが、ふと、
「自分が今、死んでも、この火鉢は残っているだろうな」
と思いました。
その瞬間、言いようのない死への恐怖を感じたことをはっきりと覚えています。
その後も、その恐怖感は、しばしば、私を襲いました。
ですが、それは、いつも突然のことでありました。まさに
唐突
(
とうとつ
)
に起こってくるのです。
その唐突さは、枝雀さんの経験に通じるように思います。
このような思いに襲われたとき、私たちの取る態度は、たいていの場合、
「こんなこと考えてもしかたがない。死ぬときは死ぬのだから、もう考えないようにしよう」
というものです。
かといって、問題が解決した訳ではありませんから、心の奥底に閉じ込めておくだけにすぎません。
ですから、それが、何かの拍子に唐突に現れてくるのでしょう。
けれども私は、その唐突さに困惑しました。
なんとかその恐怖に打ち勝とうとして、わざと恐怖感を味わおうとしてみても、全然感じないのに、 来るときは突然やって来るという感じでした。
まさにやって来るとしか言いようがありません。
そしてただ、恐ろしさに震えるばかりでした。
人は、死そのものを知ることはできません。
経験がないのですから。
いくら他人の死を見聞きしても、どのような思いで死んでいくかは、
窺
(
うかが
)
い知ることができません。
それだからこそ、かえって死への恐怖を感じるのです。
人によってそれぞれでしょうが、私という身や心が、永遠になくなってしまうという恐怖、あるいはまた、私というものの存在が続いて、 不安な未知の世界に行くという恐怖などは共通するかもしれません。
この問題は、人間を中心においた考え方や人間の持っている知識では、決して解決しません。
なぜなら、死なねばならないのに生まれてくるという、
矛盾
(
むじゅん
)
した人間存在の根本に関わる問題ゆえに、人間自身では解決できないからです。
人間を超えた他なる世界からのはたらきかけに出会うことのみが、その問題の答えを持っていると言えます。
浄土真宗では、そのはたらきかけを「よび声」と表現しています。
阿弥陀仏
(
あみだぶつ
)
は、 さとりの他なる世界から、迷いの世界のこの私に、「よびかけ」「よびさまし」続ける仏さまであります。
死なねばならないのに生まれてくるという人間の矛盾に、答え得るのは、 「かならず救って
生死
(
しょうじ
)
を超えた仏にする」 とはたらきかける阿弥陀仏の「よび声」のみではないでしょうか。
私の感じた唐突な恐怖感は、実は私への「よびさまし」のはたらきかけではなかったのか、といつのころからか、受け取るようになりました。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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