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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第62回
究極の願い*
破闇満願
(
はあんまんがん
)
更新
平成28年10月
かねてからの念願を
叶
(
かな
)
えた方が、
「思いのほかうまくいきました。自分だけの力ではこうはいきません。やはり他力ですね!」
などと嬉しそうに話されることがよくあります。
真宗の僧侶である私に同調を求めておっしゃっているのでしょうし、「自分だけの力ではない」と謙虚に喜んでおられるのに、 いきなり水をさすようなことを言うのも
気詰
(
きづ
)
まりです。
そこで、一応は、
「よかったですね」
と言っておくのですが、「それは違うのでは?」という内心の思いが隠せず、その場が変な
雰囲気
(
ふんいき
)
になってしまうことがあります。
ちょっと意地が悪いのですが、内心では、
【それなら念願もかなわず、何もかもうまくいかなかったら、他力のはたらきはないのですね】
と思ってしまうのです。
他力を否定的にとらえておられないという点は間違いではないでしょうが、自分の望みや願いが叶ったことの条件やきっかけや、 周囲の人の力などを他力とおっしゃるのは、
親鸞
(
しんらん
)
さまの説かれる他力とは違うといわねばなりません。
世の中には、不幸な出来事が信じられないほど重なって起こる場合もあります。
人間の持つ望みや願いが徹底的に
壊
(
こわ
)
れてしまうことはよく見聞きすることであります。
もし、人間の望みを叶えるための条件や周囲の人の力が他力であるとするならば、他力のはたらきは不平等になるのではないでしょうか?
なぜなら、望みや願いがうまく叶った人には他力のはたらきがあり、そうでない人には他力のはたらきがないことになるからです。
他力とは仏さまのはたらきですから、誰れであっても、どんなときであっても、区別することなく、平等にはたらいているのです。
ですから、望みや願いが叶ったときでも、すべての願いや希望が
壊
(
こわ
)
れ去って、 もう生きていく望みもないというようなときであっても、他力のはたらきは変わることなく常に私にかけられているのです。
真宗では、他力のはたらきによって人間の一切の願いが満足されると説かれます。
人間の持つ望みや願いはさまざまですが、
「欲を言ったらきりがないけれども、あと○○さえ○○ならば、もういつ死んでも安心だ」
などと、どこまでいっても満足することがありません。
そんな人間の一切の願いが満足するとは、いったいどういうことなのでしょうか?
それは、私たちが普段に叶えたいと思う望みや願いの延長線上で考えるようなことではないと思います。
一切の願いとは、「本当にこれさえあればもうまったく何も心配することがない」というような、すべての望みや願いを
包括
(
ほうかつ
)
する根本的な願い、究極の願いといったものなのでしょう。
いわば、「何のために生きるのか」という生きる意味を与えてくれるようなものといえます。
ただ目前の願いを叶えるのが他力のはたらきではなく、究極の願いに答えを与えるのが、他力のはたらきなのでしょう。
情けないことに、私たちは一切の望みがまったく
壊
(
こわ
)
れ去った 絶望の
淵
(
ふち
)
に立って、初めて究極の願いを考えようとするものです。
うまくいっているときであっても、究極の願いに目を向けようと心がけたいものです。
仏さまは休むことなくはたらきかけてくださっているのですから・・・・・・。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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一このたびのこのご縁は
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