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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第61回
生きる力*
他力
(
たりき
)
更新
平成28年9月
阿弥陀
(
あみだ
)
さまの願いの根本とは「どうしても、人びとに本当の幸せを与えたい。 それこそが私の幸せである」と述べました。
では、仏さまが人間に気づいてほしいと願われる本当の幸せとはどのようなものでしょうか。
阪神・淡路大震災では、各地で悲惨な出来事が起こりました。
そして、今現在に至っても数多くの惨状が残っています。
私たちは人生において、しばしば人間の力ではどうしようもないような苦難に出会いますが、これほどの人びとが一度に危機に
陥
(
おちい
)
ることはめったにありません。
多くの人びとが、これまで大事だと思ってきたものがいかにもろいもので、当てにならないものであったかを痛感しておられます。
そして家族や家や仕事を失ったことの悲しみや失意にとどまらず、人間として生きていく何か根本的なものを失った
虚
(
むな
)
しさを体験されています。
被災された方の一人が、
「今になって思うのです。主人も亡くなりました。家も
壊
(
こわ
)
れました。 子どもたちの家も壊れました。親戚のものも疲れ果てていました。 でも、結局一番心配しているのは、自分がこれからどうなるのかということだけでした。」
とおっしゃられました。
誰もがみんなそうだったのですよという
慰
(
なぐさ
)
めの言葉も、 その方にとっては意味がないようでした。
ほかの誰でもない自分自身の正体に気づかされ、普段は思いもしなかった自分自身の
我執
(
がしゅう
)
が知らされたというショックを述べられました。
そして、そんな私が生きている、
辛抱
(
しんぼう
)
してもらっている。
だからこそ、
「感謝する気持ちも少しは起こるようになりました。」
としみじみ語られました。
本当の幸せとは、辛さや苦しみや悲しさの正反対ではありません。
かといって、楽しさ嬉しさと同列のものでもないでしょう。
言うなれば、失意のどん底にあっても、なお、わが身にしみじみと味わえるほのかな生きる喜びといったようなものでしょうか。
果たしてそのような喜びや幸せが、人間の力によって導き出せるのでしょうか。
人は本来、普段には気がつきにくい底知れぬ不安や虚しさを抱えています。
時として人間存在の危機的な状況が起こり、その不安があらわになり、無力感や恐怖が人間を襲います。
そのとき、そのいたたまれない叫びを聞き分けて、人間に生きる力を与えるのは、人間以上のものの力のはたらきであるはずです。
人間の知識や判断が、まったく役にたたない危機であるからこそ、人間を超えた力によって道が開けてくるのです。
それは人間とは違うほかのものの力であります。
仏さまの願いは「どうしても幸せにしたい」「なんとしても気づいてほしい」というとてもとても強い願いです。
ですから、単に願いであるにとどまらず、願いを実現するはたらきや力を持ったものであります。
これを仏さまの
願力
(
がんりき
)
と言います。
また、人間を超えた他の力という意味で
他力
(
たりき
)
とも言います。
胸が
裂
(
さ
)
けるような悲しみや痛みに苦しむ人が、 「なぜ自分だけが」と虚しく
悲歎
(
ひたん
)
にくれるだけの状況から脱し、 その苦しみを転じて、ほのかな生きる喜びや幸せを味わうことができたならば、きっと人間を超えた大いなるはたらき【他力】のお陰と おっしゃるに違いありません。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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