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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第59回
二つのタイプ?*
有見無見
(
うけんむけん
)
更新
平成28年7月
ご法事などで、お参りの方がたと雑談していて気づいたことですが、あまり
仏法
(
ぶっぽう
)
を聞かれたことのない方がたは、どうも二つのタイプに分かれるように思われます。
先ず、Aのタイプは、目に見えない世界は何となく恐ろしいと考えておられる人です。例えば、
「墓が傾いているが大丈夫か?」
「お骨は分骨してもよいものなのか?」
「
年忌
(
ねんき
)
の期日が遅れてもよいか?」
等など、何々しても、もしくは何々していないが、大丈夫なのか?ということを質問されます。
この「大丈夫か?」は、いわゆる「たたる」「さわる」を恐れてのことに違いありません。
これに対してBのタイプは、目に見えない世界なんか嘘だと考えておられる人です。例えば、
「地獄・極楽はこの世のこと」
「死んだらしまい!」
等など、目の前の現実だけが本当で、それ以外はすべて嘘だと強調されます。
先日も、ある法事で「死んだらしまい!」と言い張る、典型的なBタイプの男性がおられました。
ところが、そのご法事の最後になって、「み仏にいだかれて」という歌をご門徒の方がたと一緒に歌いましたところ、その男性が、
「ええ歌ですね。歌詞といい、曲といい、なんともいえませんなあ!」
と感動したようにおっしゃるのです。
私は思わず吹き出しそうになりました。この歌は、
「みほとけにいだかれて、きみゆきぬ、西の岸」
に始まり、「きみゆきぬ、
慈悲
(
じひ
)
の国・花の里・
宝楼閣
(
たまのいえ
)
」と続きます。
まさに、目に見えない世界ではあるお浄土に生まれ往くことを歌っているのです。
「死んだらしまいではなかったのですか?」と尋ねてみたい気がしました。
「人は死んでゴミになるだけだ」などと言い張ってみても、身近な
愛
(
いと
)
しい人が 目の前からいなくなってみると、そんなに簡単にはいかないのが人間というものではないでしょうか。
だいいち、原因があって結果があり、その結果が次の原因となって新たな結果が生じるというのが道理ですから、 さまざまな原因によって生じたこの世の生という結果が、次の原因となって新たな生を得ることなく、プツッと切れたように終わってしまうということは あり得ません。
ただし、それは私たちが想像しているような生まれ方ではないかもしれませんが、、、。
このようなA・Bのタイプに似たような考え方は昔からあったようで、あるお経には、どちらも間違った考えであるとした上で、Bの方がAに比べてずっとタチが 悪く、仏さまはそのような考えを徹底的に打ち
砕
(
くだ
)
かれると説かれています。
かといって、Aの方も、目に見えない世界を恐れの世界だと考えているところに問題があります。
このような考え方が極端になると、「こうしなければ不幸になるぞ」いうように、人を傷つけたり、
陥
(
おとしい
)
れたりすることにもなりかねません。
たとえ、私たちが信じられないと思っていても、目に見えない世界からのはたらきかけは確かにあります。
けれども、それは決して恐れの世界ではなく、私を抱き、私を
育
(
はぐく
)
む、
和
(
やわ
)
らぎの世界であります。
お念仏の教えに
出遇
(
であ
)
えなければ、いつまでも、「たたる」「さわる」という恐れの世界から
逃
(
のが
)
れることができないでしょう。
※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171
最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
「
名号
(
みょうごう
)
」 「
本願
(
ほんがん
)
」 「
浄土
(
じょうど
)
」 「
他力
(
たりき
)
」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
一九九九年十二月
東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】
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一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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