☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第55回 知ってるつもり*まよ 更新 平成28年3月

「知ってるつもり」という人気テレビ番組があります。
「知っていた」「わかっていた」つもりであったが、案外そうではなかったと 視聴者しちょうしゃが感じれば、番組としては成功でありましょぅ。
さて私たちは、自分自身のことを果たしてどれほど知っているでしょぅか?
ある町で大水害が起こりました。
逃げ遅れた人びとが屋根の上で目前に せまる死の恐怖に おびえています。
水はどんどん増えてきています。
役場の職員がゴムホースで救出に向かいましたが、当然「子どもや老人を先に」という指令がありました。
四十代の男性の横を通ってお年寄りを救出しようとすると、彼は突然ボートに乗り込もうとし、お年寄りを指しながら大声で叫びました。
「どっちにしても、あっちはもうすぐ死ぬ!俺が先だ。」と。
何というひどいことを言う人かと誰れもが感じるでしょう。
けれども、自分がその状況に追い込まれたら、果たしてどうでしょぅか?
たとえ言葉には出さなくても、心の中はどうでしょうか?
もちろん社会のルール【法律や倫理】の上では、ただ心に思うだけと、実際に言葉に出したり、行動したりするのとは決定的な差があります。
しかし、死の恐怖の最中にある自分自身を 想定そうていしてみれば、どうでしょうか。
彼とさほどの差がない自分の心を思うと、何かしら自分自身の中の底知れぬ深い闇を のぞくような感がします。
私たちが「知ってるつもり」「わかっているつもり」の自分自身とは、大きな 氷山ひょうざん一角いっかくと言えるかもしれません。
それは、まさに「つもり」でしかありません。しかし、この「つもり」がくせ者です。
「迷っている者は道を問わない」
という言葉がありますが、自分が迷っていない「つもり」だから、道を尋ねようとしないという意味でしょう。
「知っているつもり」だけにかえって、ほんのわずかばかりの自分自身の経験や判断の基準でしか周りを見ようとしないのです。
「あなたならわかってくれると思っていたのに」
「どうして自分がこんな目にあうのか」
等など、私たちの「つもり」から生じる苦しさは限りがありません。
迷いとは迷っていることさえ知らないことでもあります。
行き先もわからず、暗闇の中で、いつ何時危険な 崖下がけしたに落ちるかもしれないと自覚しているのならば、 必死で灯火ともしびを探し道を求めるに違いないのですが、 明日も今日と同じように生きていけると思っているからこそ、迷いなのであります。
道を知っている方から見れば、建築中の高層ビルの足場の上を幼児がハイハイしているのを見ておられるようなものでしょう。
仏の教えは私たちに迷いの意味を教え、悟りへの道を示しています。
釈迦しゃかさまは、山に登るのに多くの道があるように、いろいろな人びとに応じて 悟りへの道を示されます。
けれども、道がたくさんあると思っているのは、山のふもとで上を眺めている傍観者であって、 私が歩もうとするならば、道は一つしかありません。
「知ってるつもり」の心の中に底知れぬ暗闇を持つこの私が歩むための道は、いったいどのような道なのでしょうか?

※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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