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法 話
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【 私の如是我聞 】
第47回
お
脇掛
(
わきが
)
について
更新
平成27年7月
ご本尊の両隣には、向かって右に、
天親菩薩
(
てんじんぼさつ
)
の 「
浄土論
(
じょうどろん
)
」による
帰命尽十方無碍光如来
(
きみょうじんじっぽうむげこうにょらい
)
の
十字名号
(
じゅあじみょうごう
)
、
左に
曇鸞大師
(
どんらんだいし
)
の
讃阿弥陀仏偈
(
さんあみだぶつげ
)
による
南無不可思議光如来
(
なもふかしぎこうにょらい
の
九字名号
(
くじみょうごう
)
をおかけするか、 もしくは右に
宗祖
(
しゅうそ
)
、
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
、
左に
中興
(
ちゅうこう
)
の
祖
(
そ
)
、
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
)
の
御影
(
ごえい
、
絵像
(
えぞう
)
をおかけします。
これが
本願寺派
(
ほんがんじは
)
のしきたりです。
このうち、
十字
(
じゅうじ
、
九字
(
くじ
の
名号
(
みょうごう
は、 ご
本尊
(
ほんぞん
、
阿弥陀如来
(
あみだにょらい
のお徳を詳しくあらわしたお名前です。
帰命尽十方無碍光如来
(
きみょうじんじっぽうにょらい
の
帰命
(
きみょう
とは、サンスクリット語のナマス、 すなわち 南無の訳語です。
この
帰命
(
きみょう
には、
礼拝
(
らいはい
とか 信心とか、いろいろな意味が含まれていますが、
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
はふつう、
仰
(
おお
せにしたがう信心のことであるといわれています。
次に
尽十方無碍光如来
(
じんじっぽうむげこうにょらい
というのは、
阿弥陀
(
あみだ
さまの救いの光は、あらゆる世界をくまなく照らし、 どんなに重い
罪業
(
ざいごう
にも、はげしい
煩悩
(
ぼんのう
にも、決してさまたげられることなくさわりなく お救いくださるという、 救いのはたらきをあらわしている
名号
(
みょうごう
お名前です。
また
南無不可思議光如来の不可思議光
(
なもふかしぎこうにょらい
は、 私たちの
思慮分別
(
しりょふんべつ
を超えた、 阿弥陀さまのさとりの徳をあらわす 名号です。
そこで、 親鸞聖人は、 不可思議光とは こころもおよばず、ことばもたえたり と仰せられています。
こうして十字名号は、
阿弥陀
(
あみだ
さまの
自在無碍
(
じざいむげ
のお救いのはたらきをあらわし、
九字名号
(
くじみょうごう
は、
如来
(
にょらい
さまの
絶対無限
(
ぜったいむげん
のさとりの徳をあらわしていますので、
ご
本尊
(
ほんぞん
の左右にご安置して、そのお徳を味わわせていただくのです。
一方、
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
と
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
の
御影
(
ごえい
は、 私たちに
阿弥陀
(
あみだ
さまの救いをお説きくださった、 そのご恩に感謝し、お徳をたたえる意味からおかけします。
両御影
(
りょうごえい
とも、 ご
本尊
(
ほんぞん
に顔を向けておられるのは、
阿弥陀
(
あみだ
さまに救われたご恩をよろこび、
鑚仰
(
さんごう
されているお姿であると同時に、 私たちに、この如来さまを信じ、お念仏申して救われてくれよとの、お心をお示しくださっているのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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