☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第46回 絵像えぞうのご本尊 更新 平成27年6月

 このご絵像えぞうや、あるいはお木像のことを 形像本尊ぎょうぞうほんぞんといいますが、 いずれも立っておられます。
阿弥陀仏像は大きくわけて、立っておられる立像りつぞうと、 座っておられる座像ざぞうがあります。
座像が、正覚成就しょうがくじょうじゅの姿とか、 お浄土でのご説法せっぽうの姿をあらわしているのに対して、 立像は、人びとを救おうと私どもの前にあらわれてくださった、慈悲の姿を示されていると言われています。
そして、絵像をよくご覧になると、四十八条しじゅうはちじょうの 光明が全身から放たれ、その光明が 蓮華れんげ台座だいざの下の方にまでのびています。
これで、台座だいざもろとも空中に浮かんでいるのがおわかりでしょう。
実は、この立っておられる阿弥陀さまは、『観無量寿経』の第七・華座観けざかんの 初めに説かれている、住立空中尊じゅうりゅうくうちゅうそんをかたどったといわれています。
ところでお経には、わが子のために牢獄ろうごくに押し込められて苦悩する 韋提希夫人いだけいぶにんに、お釈迦さまが「苦悩を除く法を説く」といわれたとき、その言葉に応じて、 突如、阿弥陀さまが空中に立って、夫人をお救いになったと説かれています。
善導大師は、そのお姿は、人々の苦しむ悩むのを見て、じっとしておれずに立ち上がって、たすけに来てくださる大悲をあらわしているといわれています。
この阿弥陀さまの全身から放たれている四十八条しじゅうはちじょうの光明は、 苦しむ悩むすべてのものを救おうと誓われた、阿弥陀さまの 四十八願しじゅうはちがんになぞらえたものです。
一々いちいちの光明は、念仏する人を光のうちに おさって、 まもりつづけて、浄土へお迎えくださる救いのはたらきをあらわしています。
つぎに手の形をみてみますと、親指と人差指とをあわせながら、右手を げ、左手は下にらしておられます。
これは一般には、施無畏せむい与願よがんいんといって、苦しみに沈んでいるものに 安らぎを施し、人々の願ったものを与えてくださる姿とされています。
しかし、浄土真宗では、「摂取不捨せっしゅふしゃいん」といわれ、念仏するものを、その大悲の光明のなかに おさって必ず浄土へつれていくと、 おおせられている姿であるといわれています。
絵像・木像のご本尊を仰ぎながら、こうした阿弥陀さまの大悲救済のおはたらきを、味わわせていただきましょう。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏・・・・。


※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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