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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第41回
年忌法要
更新
平成27年1月
核家族化
(
かくかぞくか
)
が進み、 ひとり暮らしが増えつつある今日このごろです。
私たちが多くの「いのち」のつながりの中で生きていることを、
実感
(
じっかん
)
する場が少なくなりました。
そのことからいっても、亡き人をご縁に、
親類縁者
(
しんるいえんじゃ
)
が集まって営む
年忌法要
(
ねんきほうよう
)
のもつ意義は、大きいといえましょう。
その一つは
亡
(
な
)
き人を
偲
(
しの
)
ぶ中から
連綿
(
れんめん
)
と
受
(
う
)
け
継
(
つ
)
がれている、 深い「いのち」の流れに触れること、すなわち「いのち」の縦のつながりが実感できることです。
二つめに、縁ある者が集うことによって、その大いなる「いのち」に包まれて、共に生きていること、すなわち、「いのち」の 横のつながりが味わえることでしょう。
年忌のおつとめは、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌、以後五十年ごとに行うのが 一般的ですが、二十三回忌と二十七回忌など、「三」「七」のつく年忌をつとめる場合もあります。
一周忌を除いて、かぞえ年で計算し、たとえば十三回忌は丸十二年後になります。
こうした年忌の年は、どういう
根拠
(
こんきょ
)
でできあがったものか、かならずしも明らかでありませんし、 一挙に今のようなかたちにが成立したわけではなさそうです。
しかし、故人を身近に
偲
(
しの
)
び、
慕
(
した
)
う心が、年忌の習慣を定着させたことだけは確かでしょう。
ただ、私たち浄土真宗の法【みのり】を聞く者にとって、年忌法要は、亡き人の霊を慰め、
追善回向
(
めついぜんえこう
)
するためのものではなく、故人を偲びつつ、 静かに人生を思い、み教えを聴聞する法座なのです。
そして、阿弥陀さまのかぎりない光といのちの中に、亡き人も私も抱かれていることに思いをいたし、阿弥陀さまによって、 かならず救われていくことをよろこび、感謝するご縁として営ませていただくのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
本願寺
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本願寺ホームページにて、本願寺の法話のラジオ放送を本願寺ホームページのウェブサイトで聞けます。
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一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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