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法 話
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【 私の如是我聞 】
第40回
命日は「命の日」
更新
平成26年12月
故人
(
こじん
)
が亡くなられた日を
命日
(
めいにち
)
といいます。
毎月めぐってくる死亡日と、同じ日をさすのが普通です。
また、同じ月の同じ日を、とくに
祥月命日
(
しょうつきめいにち
)
といいます。
「
祥
(
しょう
)
」の字は、今は「さいわい」とか「めでたい」という意味の 「
吉祥
(
きっしょう
)
」の「祥」 【
示
(
しめす
)
編に
羊
(
ひつじ
)
】と書く字を使っていますが、これは
儒教
(
ぎゅきょう
)
から出た言葉のようです。
また、「
忌
(
き
)
」とは、「いむ」とか「つつしむ」という意味です。
真宗では「つつしみ」の意味で用い、この日は身をつつしんで、あるいは
祖師
(
そし
)
のお徳をしのび、あるいは亡き人を偲ぶ日ということです。
ところで、この命日という言葉は、もとは「命を捨てる」と書いて 「
捨命日
(
しゃめいにち
)
」とか、「命が過ぎる」と書いて 「
命過日
(
みょうかにち
)
」とかいわれていたそうです。
それが「捨てる」という字や「過ぎる」という字が省略されて、「命」という字だけが残ったという説があります。
しかし文字通りでは「いのちの日」です。
考えてみますと、私たちは日々、「いのち」の大切さをかみしめ、生きていることをよろこびを感じながら 生活しているでしょうか。
ついつい「生きているのがあたりまえ」、「いのちのあるのは当然」と思い込んでいるのではないでしょうか。
そんな私たちに、「いつまでもあるいのちではないぞ」、「はかり知れない多くのいのちに支えられて、 今生きているんだよ」、「如来様の御いのちを思え」と、私に「いのち」のありがたさ、ほんとうの姿を気づかせるために、 亡き人が設けてくださったご縁が「いのちの日」、すなわち「命日」なのだと思います。
大切な肉親のかたの死を、ただ悲しむばかりでなく、毎月の命日を通して、如来さまに「いのち」の本来のありようを聞いて、 味わいたいものです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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