☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第40回 命日は「命の日」 更新 平成26年12月

 故人こじんが亡くなられた日を 命日めいにちといいます。
毎月めぐってくる死亡日と、同じ日をさすのが普通です。 
また、同じ月の同じ日を、とくに 祥月命日しょうつきめいにちといいます。 
しょう」の字は、今は「さいわい」とか「めでたい」という意味の 「吉祥きっしょう」の「祥」 【しめす編に ひつじ】と書く字を使っていますが、これは 儒教ぎゅきょうから出た言葉のようです。
また、「」とは、「いむ」とか「つつしむ」という意味です。
真宗では「つつしみ」の意味で用い、この日は身をつつしんで、あるいは 祖師そしのお徳をしのび、あるいは亡き人を偲ぶ日ということです。 
 ところで、この命日という言葉は、もとは「命を捨てる」と書いて 「捨命日しゃめいにち」とか、「命が過ぎる」と書いて 「命過日みょうかにち」とかいわれていたそうです。
それが「捨てる」という字や「過ぎる」という字が省略されて、「命」という字だけが残ったという説があります。
しかし文字通りでは「いのちの日」です。 
 考えてみますと、私たちは日々、「いのち」の大切さをかみしめ、生きていることをよろこびを感じながら 生活しているでしょうか。
ついつい「生きているのがあたりまえ」、「いのちのあるのは当然」と思い込んでいるのではないでしょうか。
 そんな私たちに、「いつまでもあるいのちではないぞ」、「はかり知れない多くのいのちに支えられて、 今生きているんだよ」、「如来様の御いのちを思え」と、私に「いのち」のありがたさ、ほんとうの姿を気づかせるために、 亡き人が設けてくださったご縁が「いのちの日」、すなわち「命日」なのだと思います。
 大切な肉親のかたの死を、ただ悲しむばかりでなく、毎月の命日を通して、如来さまに「いのち」の本来のありようを聞いて、 味わいたいものです。
 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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