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法 話
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【 私の如是我聞 】
第38回
悲しみの中で
更新
平成26年10月
本願寺第八代目の
宗主
(
しゅうしゅ
)
蓮如上人は、 人の「いのち」の無常の相(すがた)をくりかえしくりかえし、 『
御文章
(
ごぶんしょう
)
』でお教えくださっています。
悲しいことではありますが、人間の一生は まるで
稲妻
(
いなずま
)
か、朝の
露
(
つゆ
)
のように、はかない「いのち」であり 【『御文章』一帖十一通取意・『注釈版聖典』1100頁】、 老いたるものも、若きものも、年齢にかかわらず、
無常
(
むじょう
)
の風が吹けば、ほろびていかねばならない
老少不定
(
ろうしょうふじょう
)
の身であると、お教えいただいていても、 別れの事実の前には、ただ気持ちも
動転
(
どうてん
)
し、 言葉もうしなってしまいます。
きびしいことですが、私どもはこの別れの事実を、どうしても受け入れていかねばならないのです。
親鸞聖人は、阿弥陀如来に救われた人は、安らかなお浄土に生れさせていただいて、阿弥陀如来とおなじさとりをひらき、 ふたたび、私たちのもとに
還
(
かえ
)
りきて、 私たちを導く
菩薩
(
ぼさつ
)
となってくださると、お教えくださいました。
蓮如上人も、お嬢さまの
見玉尼
(
けんぎょくに
)
さまが 二十五歳で先立たれたとき、「まことに
善知識
(
ぜんちしき
)
とおもひて」 とおおせられ、私どもをお浄土へと導いてくれるよき師であると、おがんでいらっしゃいます。
( )さんがこの若さで、命終わっていかれたことは、私たちに、大切な人生のメッセージを残してくださっているに ちがいありません。
その意味をみ仏のみ教えをとおして、たずねつづけていきましょう。
あとに残された私どももまた、遠からず死を迎えなければならない身です。
今日この悲しみの中で、なにをおいても、お子さんが、その「いのち」をかけて、私どもに呼びかけていてくださる、 人生の
根源
(
こんげん
)
にかかわるお言葉を聞きとどけたいものです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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一このたびのこのご縁は
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