☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第34回 仏弟子として更新 平成26年6月


帰敬式ききょうしきは阿弥陀如来の願いに 帰依きえし、お釈迦さまのお 弟子でしにしていただき、こころから仏さまを 敬う気持ちをあらわす儀式ぎしきです。 帰敬式をお受けになった方々は、本日より、形だけの浄土真宗の門徒ではなく、真の念仏者として生きる決意を、 阿弥陀如来さまに誓われました。この帰敬式を、お受けになったことをご縁として、ひとこと、ご法話を【朗読】 させていただきます。  
帰敬式ききょうしきのことを「おかみそり」といいます。
「おかみそり」は髪をそる、
剃髪ていはつを あらわします。
つまり、いたずらに我欲にひきずられて、外見ばかり気にする 虚飾きょしょくをすて、まことの道に入ったことをあらわす意味が あります。 
仏教では、古くから入門の
儀礼ぎれいとして、 「三帰依三唱さんきえさんしょう」ということがいわれてきました。
三帰依さんきえを三度となえたからです。 
三帰依さんきえとは、
三宝さんぽうに帰依することです。
三宝さんぽうとは、私どもの心の りどころとなってくださる大切な宝物のことです。
ぶつ仏陀ぶっだ】と ほう教法きょうぼう】と そう僧伽さんが】、 この三つを三宝といいます。
この三宝を心のりどころとして生きていきます、 と誓うことを 「三帰依さんきえ」といいます。
南無帰依仏なもきえぶつ
【真実のめざめたかた《仏》をこころの りどころとして生きていきます。】
南無帰依法なもきえほう
【仏のお説きくださったまことの教法《法》をこころの りどころとして生きていきます。】
南無帰依僧なもきえそう
【仏の教えをりどころとして生きていく人々の、 和やかなつどい《僧》をこころのりどころとして 生きていきます。】
この三つです。こうして三宝に帰依するひとを、仏弟子と呼びます。
仏弟子といっても、私どもは、これまでの日常生活を捨てることはできません。家庭を営み、それぞれの仕事を しながら、お念仏の道を歩ませていただくのです。
親鸞聖人もまた、 「そうあらず、 ぞくあらず」といって、家庭を持ちながら、仏弟子として、 念仏者の道を歩まれました。
私たちはそれぞれの仕事に全力をつくし、なごやかな家庭生活を営むなかで、お念仏を申し
念仏ねんぶつ】、 み教えを聞きひらき
念法ねんぽう】、 そして、たがいに同朋どうぼう・兄弟として むつみあう
念僧ねんそう】のです。
そこにおのずからまことの仏弟子としての生き方が 開けていきます。それゆえ、仏弟子としての法名をいただいているのです。
親鸞聖人もまた、釈親鸞しゃくしんらんと 名のっておられます。これまでの俗名のほかに、「法名 釈○○」をいただくことは、お釈迦さまの家系に入らせて いただいたしるしです。 
法名を大切にして、生涯、まことの仏弟子としての自覚をもった歩みを、かさねさせていただきましょう。
 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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