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法 話
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【 私の如是我聞 】
第169回
草木国土悉皆成仏
(
そうもくこくどしっかいじょうぶつ
)
更新
2025年9月
『
如来微塵世界
(
にょらいみじんせかい
)
にみちみちてまします、すなはち
一切群生海
(
いっさいぐんじょうかい
)
の
心
(
しん
)
に みちたまへるなり。
草木国土
(
そうもくこくど
)
ことごとくみな
成仏
(
じょうぶつ
)
すととけり』
【
唯信鈔文意
(
ゆいしんしょうもんい
)
】
仏さまは、どこにおられるのでしょうか」とか「極楽はほんとうにあるのでしょうか」という若い人の問いに出合うことがあります。
その場合にまず、問いをほぐす焦点は「どこにおられる」とか「ほんとうにある」という発想にあると言わねばなりません。
み仏のあり方を示す重要な言葉は「如来」であります。
すなわち「如より来生」したもうということであります。つまり、み仏や浄土はどこにあるのかという問いではなく、み仏とは「はたらき」であり、浄土もまた無量光明のはたらきであるということであります。
それでは、いつ、どこにはたらいているというのでしょうか。
それが「如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち一切群生海にみちみちてまします、すなはち一切群生海の心にみちたまへる」と述べられているところであります。
阿弥陀如来は、いつでも、どこでも、だれにでも、わけへだてなくはたらき遠しのみ仏であります。
微塵世界に満ちみち、一切群生海のこころに満ちたもうはたらきでありました。
そのゆえに草木国土のことごとく、皆、成仏すると説かれているということであります。
「草木国土、悉皆成仏」なんと意義深いお言葉でしょう。
この言葉は「山川草木、悉皆成仏」の大乗仏教のこころを述べられているのであります。
かつては、動物や植物が仏に成る、ましてや山や川という、いわゆる自然が仏に成るということはどういう発想なのだろうか、と思ったものでした。
しかし、よくよく考えてみますと、山や川という自然を差別するこころは、やがて植物すなわち草や木という植物を差別するこころは動物すなわち馬や豚を差別する、その動物を差別するこころは やがて人間の中での差別をよび起こすのです。すなわち黒人は白人のために存在するなどということになりかねないのであります。
その意味で、山川草木がことごとく皆、仏に成るという大乗仏教のこころは、一切のものに差別なく、すべてのものは仏に成るということで、それは重大な意味があるといわねばなりません。
「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり(歎異抄)」のこころはやがて「親鸞は弟子一人ももたず候」に通じ、それは「いづれもいづれも、この順次生に仏に成る」のであると 説き明かされるこころであります。
いま、ここにはたらきたもう、満ちみちたもうみ仏の誓願にめざめて、すべての存在の尊厳性と平等性に徹底することこそ念仏申す人生であります。
※『真宗法語のこころ』中西 智海師
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