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法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第163回
現当二世
(
げんとうにせ
)
の
利益
(
りやく
)
の中
更新
2025年3月
『
信心
(
しんじん
)
をうればすなはち
往生
(
おうじょう
)
といふ、すなはち
往生
(
おうじょう
)
すといふは
不退転
(
ふたいてん
)
に
住
(
じゅう
)
するをいふ』
【
唯信鈔文意
(
ゆいしんしょうもんい
)
】
今日
(
こんにち
)
ほど生きる支えを求め、いのちの依りどころを模索している時代はないといえましょう。
巨大な産業組織の
枠
(
わく
)
の中で、思いやりや気くばりのゆとりをもちえなくなり、自己中心の欲望だけをむき出しにして 生きがちなありさまであります。
み仏の教えでは、生きることも死ぬことをも支え、いのちの究極の依りどころに目覚めた世界を「不退転」と説かれています。
これあれば生き、これあれば死んでいける、生の
依
(
よ
)
るところ、死の帰する世界にめざめさせていただくことこそ、まさに一大事であります。
親鸞聖人は阿弥陀如来の
誓願名号
(
せいがんみょうごう
)
のいわれを聞きひらき、念仏とともに燃やしつくす人生を 「
即得往生
(
そくとくおうじょう
)
」と示されました。
「信心をうればすなはち往生す」と言われているのはそれであります。
浄土真宗では往生に二つの言い方があるのです。
本願・名号のいわれを聞き得た信心の世界を即得往生と示され、いま一つは、いわゆる臨終の一念に往き生まれる浄土往生 (「教行信証」証巻に難思議往生ととかれている)であります。
この法語の「往生す」と述べられているのは、まさに即得往生のいわれであることは「すなはち往生といふは不退転に往生するをいふ」といわれていることでも領解されるところであります。
聖人は現生のただいま、本願名号のいわれを聞き、如来の大悲に
摂
(
おさ
)
め取られて生きているいのちにめざめさせていただく世界を、正定聚不退転(しょうじょうじゅふたいてん) であることをきっぱりと教えてくださいました。
いま、信心の大いなるうなずきの世界は、
煩
(
わずら
)
い悩みの現実のただ中にあって、浄土と説かれる真実、まことの世界に「向かって(往)生きぬく(生)」 いのちの確立の世界であるといわねばなりません。
この苦しみ悩みのただ中で、その苦しみのこの世界から逃げもかくれもせず、阿弥陀如来の本願・弘誓に心を
樹
(
た
)
てて、 念仏とともに燃やし尽くすいのちのあり方は、つねに浄土と説かれる真実、まことの世界に向かって生きぬくことであります。
そして、念仏とともに燃やし尽くした一生のおわりは、まさに真実、まことの世界への完全燃焼の世界であり、
大涅槃
(
だいねはん
)
であり、弥陀同体の「さとり」なのであります。
まさに真実の信心の世界は、現在・過去・未来、すなわち現当二世の利益の中に、み仏とともに、念仏とともにいのちの依りどころとめざめて生きるよろこびの生活でありました。
※『真宗法語のこころ』 中西智海 師
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我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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