☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第161回 大慈大悲のきわまり更新 2025年1月
          
 『さとりをうれば、すなわち 大慈大悲だいじだいひのきはまりて 生死海しょうじかいにかへり りてよろづの 有情うじょうをたすくるを 普賢ふげんとくせしむと もうす』
 
 【唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい】 

 よく仏教、そして浄土教に対する疑問として出されるものに次のようなことがあります。
 「仏教はこの世を苦しみの世界とし、その苦しみから解放脱出することを教える。
 さとりのことを 解脱げだつというのではないか。
 また、浄土教は 厭離穢土おんりえどと言って、この世をいとい、離れることを説いている。
 そのような教えであるならこの世から逃げ出すことになってしまって、この世そのものを変革するというはたらきは生まれてこないのではないか」ということです。
 仏教について正しく学んでいない場合、浄土教について基本的に受けとめていない人にとっては、これらの言葉は「その通りだ」となるかも知れません。
 しかし、この法語をうかがいますと、それは全く まとはずれだと言わねばなりません。
 まず、「さとり」とは「大慈大悲きはまる」ことであると言われています。
 思えば、私たちの現実は、本当に他人に対して無私の思いやりや、相手の立場に立って考えることができているのでしょうか。
 本当の慈悲のこころと行いが徹底していたら、この世はどんなに明るく、あたたかいことでありましょう。
 そう思うと、私たちの生命の完成は大慈大悲に徹することであり、その大慈大悲のきわまりこそ「仏」であり「さとり」であると知らされるのであります。
 その意味で仏道の目的は「仏に成る」ことであります。
 それがすなわち「大慈大悲のきはまり」なのであります。
 私たちが、その生命の完成のあかつきには、生死海と説かれるこの矛盾に満ちたこの世に帰り入って 「よろづの有情」をめざめさせるために生命を尽くさせていただくのであると言われています。
 ですから、浄土に往き生まれるのは仏に成らせていただくことであり、仏に成ったあかつきには、直ちにこの世に立ち帰ってきて、はたらかせていただくのであります。
 それは、まさに 普賢菩薩ふげんぼさつの徳に せしめられる世界であるといわれているのであります。
 このように仏教の本来の意味と浄土教のすくいの世界を正しく 領解りょうげする時、どこまでもこの世からの逃避や脱出を教えるのではなく、大慈大悲のきわまる世界をめざし、 その完全な生命によってこそ、この世を徹底してすくうという教えであることを確認するのであります。
 ここにおいて、私たちの今の生活においても「念仏申すのみぞ すえとおりたる大慈悲心にて候」とのこころの深みを味わわせていただきたいものであります。  



※『真宗法語のこころ』 中西智海 師
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