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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第88回
第十条
念仏
(
ねんぶつ
)
には
無義
(
むぎ
)
をもつて義とす
更新
平成30年12月
本願他力
(
ほんがんたりき
)
の
念仏
(
ねんぶつ
)
においては、
自力
(
じりき
)
のはからいがまじらないことを
根本
(
こんぽん
)
の
法義
(
ほうぎ
)
とします。
なぜなら、
念仏
(
ねんぶつ
)
は はからいを
超
(
こ
)
えており、たたえ
尽
(
つく
)
くすことも、
説
(
と
)
き
尽
(
つく
)
すことも、
心
(
こころ
)
で
思
(
おも
)
いはかることもできないからですと、
聖人
(
しょうにん
)
は
仰
(
おお
)
せになりました。
思
(
おも
)
えばかつて、
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
がおいでになったころ、
同
(
おな
)
じ
志
(
こころざし
)
をもってはるかに
遠
(
とお
)
い
京
(
きょう
)
の
都
(
みやこ
)
まで
足
(
あし
)
を
運
(
はこ
)
び、
同
(
おな
)
じ
信心
(
しんじん
)
をもってやがて
往生
(
おうじょう
)
する
浄土
(
じょうど
)
に
思
(
おも
)
いをよせた
人々
(
ひとびと
)
は、ともに
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
のおこころを
聞
(
き
)
かせていただきました。
けれども、その
人々
(
ひとびと
)
にしたがって
念仏
(
ねんぶつ
)
しておられる
方々
(
かたがた
)
が、
老
(
お
)
いも
若
(
わか
)
きも
数
(
かぞ
)
え
切
(
き
)
れないほどたくさんおいでになる
中
(
なか
)
で、
近
(
ちか
)
ごろは、
聖人
(
しょうにん
)
が
仰
(
おお
)
せになった
教
(
おし
)
えとは
異
(
こと
)
なることをさまざまにいいあっておられるということを、
人
(
ひと
)
づてに
聞
(
き
)
いています。
それら
正
(
ただ
)
しくない
考
(
かんが
)
えの
一
(
ひと
)
つ
一
(
ひと
)
つについて、
以下
(
いか
)
に
詳
(
くわ
)
しく
述
(
の
)
べていきましょう。
※『大きな字の
歎異抄
(
たんにしょう
)
』
解説
梯圓
(
かけはしじつえん
)
本願寺出版社 定価:\750(本体\750+税)
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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