《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第87回 |
第九条 念仏申し
候へども |
更新 |
平成30年11月 |
念仏しておりましても、おどりあがるような
喜びの心がそれほど
湧いてきませんし、また少しでもはやく
浄土に
往生したいという心もおこってこないのは、どのように考えたらよいのでしょうかとお
尋ねしたところ、次のように
仰せになりました。
この親鸞もなぜだろうかと思っていたのですが、
唯園房よ、あなたも同じ心持ちだったのですね。
よくよく考えてみますと、おどりあがるほど大喜びするはずのことが喜べないから、ますます
往生は間違いないと思うのです。
喜ぶはずの心が
抑えられて喜べないのは、
煩悩のしわざなのです。
そうしたわたしどもであることを、
阿弥陀仏ははじめから、知っておられて、あらゆる
煩悩を身にそなえた
凡夫であると
仰せになっているのですから、
本願はこのようなわたしどものために、大いなる
慈悲の心でおこされたのだなあと気づかされ、ますますたのもしく思われるのです。
また、
浄土にはやく
往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、
死ぬのではないかと心細く思われるのも、
煩悩のしわざです。
果てしなく遠い昔からこれまで生まれ変わり死に変わりし続けて来た
苦悩に満ちたこの
迷いの世界は
捨てがたく、まだ生まれたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに
煩悩が
盛んだからなのです。
どれほど
名残惜しいと思っても、この世の
縁が
尽き、どうすることもできないで
命を
終えるとき、
浄土に
往生させていただくのです。
はやく
往生したいという
心のないわたしどものようなものを、
阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。
このようなわけであるからこそ、大いなる
慈悲の
心でおこされた
本願はますますたのもしく、
往生は間違いないと思います。
おどりあがるような
喜びの
心が
湧きおこり、また少しでもはやく
浄土に
往生したいというのでしたら、
煩悩がないのだろうかと、きっと
疑わしく思われることでしょう。
このように
聖人は
仰せになりました。
※『大きな字の歎異抄』
解説 梯圓
本願寺出版社 定価:\750(本体\750+税)
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