《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第84回 |
第六条 専修念仏のともがらの |
更新 |
平成30年8月 |
同じ
念仏の
道を
歩む
人々の
中で、
自分の
弟子だ、
他の
人の
弟子だといういい
争いがあるようですが、それはもってのほかのことです。
この
親鸞は、
一人の
弟子も
持っていません。
なぜなら、わたしのはからいで
他の
人に
念仏させるのなら、
その
人はわたしの
弟子ともいえるでしょうが、
阿弥陀仏のはたらきにうながされて
念仏する
人を、
私の弟子などというのは、まことに
途方もないことだからです。
つくべき
縁があれば
一緒になり、
離れるべき
縁があれば
離れていくものなのに、
師に
背き
他の
人にしたがって
念仏するものは
往生できないなどというのは、とんでもないことです。
如来からいただいた
信心を、まるで
自分が
与えたものであるかのように、
取り
返そうとでもいうのでしょうか。
そのようなことは、
決してあってはならないことです。
本願のはたらきにかなうなら、おのずから
仏のご
恩もわかり、また
師の
恩もわかるはずです。
このように
聖人は
仰せになりました。
※『大きな字の歎異抄』
解説 梯圓
本願寺出版社 定価:\750(本体\750+税)
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
|
今生最後と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
我一人の為と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
初事と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
聴聞の心得 |
トップページへ
聖典講座に戻る
書庫をみる