《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

  
第80回 第二条 おのおの十余箇国じゅうよかこく 更新 平成30年4月

 あなたがたがはるばる 十余じゅうあまりもの 国境くにざかいをこえて、 いのちがけでわたしを たずねてこられたのは、ただひとえに 極楽浄土ごくらくじょうど往生おうじょうする みちいただしたいという 一心いっしんからです。
けれども、このわたしが 念仏ねんぶつほか浄土じょうど往生おうじょうする みちっているとか、またその おしえが かれたものなどを っているだろうとか おかんがえになっているのなら、それは 大変たいへんあやまりです。
そういうことであれば、 奈良なら比叡山ひえいざんにもすぐれた 学僧がくそうたちがいくらでもおいでになりますから、その ひとたちに おいになって、 浄土往生じょうどおうじょうのかなめを くわしく おたずねになるとよいのです。
この 親鸞しんらんにおいては、「ただ 念仏ねんぶつして、 阿弥陀仏あみだぶつすくわれ 往生おうじょうさせていただくのである」という 法然上人ほうねんしょうにんのお 言葉ことばをいただき、それを しんじているだけで、 ほかなにかがあるわけではありません。
 念仏ねんぶつ本当ほんとう浄土じょうどうまれる いんなのか、 ぎゃく地獄じごくちる おこないなのか、まったくわたしの るところではありません。
たとえ 法然上人ほうねんしょうにんにだまされて、 念仏ねんぶつしたために 地獄じごくちたとしても、 けっして 後悔こうかいはいたしません。
なぜなら、 ほかぎょうはげむことで ほとけになれたはずのわたしが、それをしないで 念仏ねんぶつしたために 地獄じごくちたというのなら、だまされたという 後悔こうかいもあるでしょうが、どのような ぎょう満足まんぞくおさめることのできないわたしには、どうしても 地獄以外じごくいがいはないからです。
 阿弥陀仏あみだぶつ本願ほんがん真実しんじつであるのなら、それを しめしてくださった 釈尊しゃくそんおしえがいつわりであるはずはありません。
  釈尊しゃくそんおしえが 真実しんじつであるなら、その 本願念仏ほんがんねんぶつのこころをあらわされた 善導大師ぜんどうだいし解釈かいしゃくにいつわりのあるはずがありません。
善導大師ぜんどうだいし解釈かいしゃく真実しんじつであるなら、それによって 念仏往生ねんぶつおうじょうみちあきらかにしてくださった 法然上人ほうねんしょうにんのお 言葉ことばがどうして うそいつわりでありましょうか。
法然上人ほうねんしょうにんのお 言葉ことば真実しんじつであるなら、この 親鸞しんらんもうすこともまた 無意味むいみなことではないといえるのではないでしょうか。
 つきつめていえば、 おろかなわたしの 信心しんじんはこの とおりです。
この うえは、 念仏ねんぶつして 往生おうじょうさせていただくと しんじようとも、 念仏ねんぶつてようとも、それぞれの おかんがえしだいです。
このように 親鸞聖人しんらんしょうにんおおせになりました。




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