《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

  
第61回 五重の義章ごじゅうのぎしょう大意たいい 更新 平成28年9月

 
近ごろ諸国で 親鸞聖人しんらんしょうにんのみ教えがさまざまに異なって伝えられているのは、 なげかわしいことです。 浄土真宗じょうどしんしゅうでは、他力の信心によって 凡夫ぼんぶが浄土に往生させていただくのですが、 その信心を説かずに、
阿弥陀如来あみだにょらい十劫じっこうの昔に私たちの往生を定められたのを忘れないのが信心だ」というものがいます。
これでは阿弥陀如来あみだにょらい帰命きみょうし、他力の信心を得たということにはなりません。
如来が十劫じっこうの昔に私たちの往生を定められたということを知ったとしても、 他力の信心のいわれをしらなければ、浄土に往生することはできません。
また、「阿弥陀如来あみだにょらい帰命きみょうするといっても、 善知識ぜんぢしきがいなければできないことなので、 ただ善知識ぜんぢしきをたのみとすべきである」 というものもいますが、これもまちがっています。
善知識ぜんぢしきというのは、二心ふたごころなく 阿弥陀如来あみだにょらい帰命きみょうしなさいとすすめる人のことだからです。
そこで宿善しゅくぜん善知識ぜんぢしき光明こうみょう信心しんじん名号みょうごうという 「五重ごじゅう」が たてられています。
このことが成就じょうじゅしなければ、 浄土に往生することはできません。
ですから、善知識ぜんぢしき阿弥陀如来あみだにょらい帰命きみょうしなさいと私たちを導く使いなのです。
善知識ぜんぢしきにあうことは必要ですが、 阿弥陀如来あみだにょらい帰命きみょうしないで、 善知識ぜんぢしきばかりをたのみとするのは、大きなあやまりであると知るべきです。



※『御文章ごぶんしょう ひらがなばん拝読はいどくのためにー』(本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171)

  蓮如上人五百回遠忌法要れんによしょうにんごひゃっかいおんきほうよう記念きねんして 『御文章ごぶんしょうーひらがなばん』が ご制定せいていになりました。
本書ほんしょ は、この『御文章ごぶんしょう』を 有縁うえん方々かたがたが、 ただしく 拝読はいどくし、 おきくださった 趣旨しゅしをよく ご理解りかいいただくように 配慮はいりょして 制作せいさくした 解説書かいせつしょです。
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蓮如上人御一代記聞書れんにょしょうにんごいちだいきききがき』に、 「『御文章ごぶんしょう』は、 凡夫ぼんぶ浄土じょうど往生おうじょうする みちあきらかに うつかがみ」【一七七条】であり、また 「毎日まいにち、 『御文章ごぶんしょう』の とうとい お言葉ことばかせていただくことは、そのつど たから頂戴ちょうだいするようなもの」【二八八条】であると べられている 所以ゆえんです。
本書ほんしょ編集へんしゅう浄土真宗教学研究所じょうどしんしゅうきょうがくけんきょうしょ担当たんとういたしましたが、 勤式指導所ごんしきしどうしょ協力きょうりょくて、 拝読はいどく方法ほうほう考慮こうりょして 本文ほんぶんにわかりやすい 仮名がな拝読符号はいどくふごうし、 研究所けんきゅうしょにおいて、 脚註きゃくちゅう巻末註かんまつちゅうもうけて、 各通かくつう大意たいい解説かいせつするなどの 措置そちこうじました。
本書ほんしょを、 ご制定せいていの 『御文書ごぶんしょうーひらがなばん拝読はいどく手引てびきとして、いつでもどこでも ひもとき、 活用かつよういただくことを 念願ねんがんいたします。

 平成十年十一月十三日
 浄土真宗教学研究所所長
    石田慶和
【「刊行にあたって」より 抜粋】


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