《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第46回 |
諸仏に讃えられて(三) |
更新 |
平成27年6月 |
(偈文)
一切善悪の
凡夫人、
如来の
弘誓願を
聞信すれば、
仏、
広大勝解のひととのたまへり。
この人を
分陀利華と名づく。
(第四十四話〜第四十六話)
本願を信じ、念仏申す人は、釈迦仏をはじめとして、
諸仏から、
「広大勝解の人」
「白蓮華のようなうるわしい人」とほめたたえられます。
だからといって、信心をよろこぶ人は、自分がえらくなったなどと思いはしません。
ご法義を深く味わえば味わうほど、こんな尊い法をいただいているにもかかわらず、依然として我欲をはなれることができず、
煩悩にしばられているお恥ずかしい私であると、
自分を省みずにはおれません。
それが真の念仏者の姿です。
ときには、人にうらぎられることもあるでしょう。
だからといって、その人をうらみにくみつづけるということはありません。
むしろそれを機縁に、自分は人をうらぎったことはなかったか、人のかげ口を言ったことはなかったかと自らをふりかえって、
慚愧の生活をする人こそ真の念仏者です。
見事に咲いた菊、そこにはそれを育てた人の汗が宿っています。
その花を育てた人の苦労が、目には見えませんが花に宿っています。
白蓮華のように気高い念仏者が育つためには、
阿弥陀如来のご苦労があるのです。
泥沼のような世の中にあって、泥のようなよごれた心しかもっていない私にも、
阿弥陀如来は、お念仏の花を咲かせてくださるのです。
「白蓮華のような人」とほめたたえてくださるのです。
(話題)
念仏者を、諸仏は、なぜほめたたえられるのでしょうか。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
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