《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第40回 往生まちがいなし(一) 更新 平成26年12月
(偈文) 
すでによく無明むみょうあんすといへども、 貪愛とんない雲霧うんむ、 つねに真実信心しんじつしんじんてんおおへり。 たとへば 日光にっこう雲霧うんむおおはるれども、 雲霧うんむしたあきらかにして やみなきがごとし。
         (第四十話〜第四十一話)
 本願ほんがんを信じて救われた身となった 私たちの現実の生活は、一体どんな生活でしょうか。
心も行いも極めて清らかになるー。いいえそんなことはありません。 
本願ほんがんを信じ、念仏を申して救われる身になっても、 あいかわらず、  煩悩ぼんのうがおこり、  悪業あくごうをつくって、 真実信心をおおいかくしているのです。
それはあたかも、雲や霧が空一面にひろがって、太陽をおおいかくしているのと同じです。
本願ほんがんに対して疑いがなくなり、  摂取せっしゅ心光しんこうに常に まもられていても、 依然として自己中心の欲望はなくなりません。
欲望が満たされないと、怒り憎しみの心がおこります。 煩悩ぼんのうに明け暮れる毎日です。
しかし、 煩悩ぼんのうに明け暮れる毎日であっても、 阿弥陀如来あみだにょらいのお徳のはたらきの確かさは すこしもかわりません。
それは、あたかも、雲や霧が空一面をおおっていても、太陽の光によって雲や霧の下が明るいのと同じことです。
阿弥陀如来あみだにょいの 「摂取せっしゅ慈悲じひにめざめた人は、こんな尊い  本願ほんがんにあいながらも 煩悩ぼんのうに明け暮れする恥ずかしい私であると、わが身を なげくとともに、こんな私なればこそお救いくださる 阿弥陀如来あみだにょらいと、よろこびの中に日々の生活に いそしむのです。
悪業煩悩あくごうぼんのうの私たちを、そっくりそのまま包み込んで お救いくださる広大な 阿弥陀如来あみだにょらいのはたらきを、深く味わいたいものです。

(話題) 
お念仏の教えにあいながら、日々煩悩ぼんのうに明け暮れる 自分の姿を話し合いましょう。

※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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