《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第38回 |
み光につつまれて(一) |
更新 |
平成26年10月 |
(偈文)
摂取の
心光、
つねに照護
したまふ。
(第三十八話〜第三十九話)
ご信心をいただいた人は、
阿弥陀如来の
光明の中におさめとられて、
常に護られているという
利益を得るのです。
私たちは
阿弥陀如来の
呼びかけに背を向けて、逃げどおしです。
そういう私を追いかけて、つかまえて放さない、これが
阿弥陀如来の救いです。
阿弥陀如来のお心にそむいて
逃げているこの私を、追いかけてくださる阿弥陀如来、
そして、とうとう阿弥陀如来に
つかまえられた、これを摂取不捨といいます。
阿弥陀如来の救いの
光明は、全ての人を救おうと照らしてくださいますが、
救いの光明に照らされている私たちの方に、
阿弥陀如来の
お慈悲を素直に受け入れない人と、
お慈悲を受け入れて心から信じ喜ぶ人との別があります。
阿弥陀如来の
お慈悲を心から信じ喜ぶ人が受ける
光明を
心光といいます。
法然上人は、
月かげのいたらぬ里はなけれども
ながむる人のこころにぞすむ
とうたわれました。
中秋の名月は地上のすべてのものを
皓皓と照らします。
しかし、月の光の美しさを語ることができるのはその月を仰ぎ
賞でた人だけです。
家の中に閉じこもっている人は、月の美しさを知りません。
それと同じように、阿弥陀如来の
救いの光は全ての人にそそがれていますが、救いのお心を素直にいただいた人だけが
本願の救いにあずかるのです。
み仏のお心をしっかり
聴聞しましょう。
(話題) 法然上人の歌について話し合いましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
|
今生最後と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
我一人の為と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
初事と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
聴聞の心得 |
トップページへ
聖典講座に戻る
書庫をみる