《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
(偈文)
如来、
世に
興出したまふゆえは、
ただ
弥陀の
本願海()を
説()かんとなり、
五濁悪時()の
群生海()、
如来如実()の
言()を
信()ずべし。
(第三十二話〜三十四話)
お釈迦()さまがこの世にお出ましになった
目的は、阿弥陀如来あみだにょらい)の
本願ほんがん)を説くためだったと親鸞聖人はおっしゃっています。
阿弥陀如来あみだにょらい)の
本願ほんがん)は、苦しむ悩む人びとを救う教えです。
阿弥陀如来()の救いの道こそ、
私たちのために開かれた、ただひとつの救いの道だったのです。ですから親鸞聖人は
「五濁悪時()の
群生海()、
如来如実()の
言()を
信しん)ずべし」と言われたのです。
今の世の中はどんな世の中でしょうか。
今の世の中は五濁()の世です。そしてその中に生きる
私たちも煩悩ぼんのう)よごされています。
そういう私たちであるからこそ、お釈迦しゃか)さまをはじめ、諸仏がたが、
「阿弥陀如来()の
救いを信じなさい。」とすすめてくださったのです。
ねたむ心にみちみちているこの私、自分のことしか考えないこの私、そんな私がいったいどこに
救いの道を見出すことができるでしょうか。二千五百の昔にお亡くなりになった
お釈迦()さまは、私たちに
「弥陀みだ)の
本願ほんがん)に生きるほかに救われる道はないよ」と呼びかけてくださったのです。
親鸞聖人は、そのお釈迦しゃか)さまのおさとしを、受けとめられたのでした。
親鸞聖人()がつねづね
仰()せになっていたことですが、
「阿弥陀仏()
五劫()もの
間()
思()いめぐらしてたてられた
本願()をよくよく
考()えてみると、それはただ、
この親鸞()
一人()を
お救()いくださるためであった。
思()えば、このわたしはそれほどに
重()い
罪()を
背負()う
身()であったのに、
救()おうと
思()い
立()てくださった
阿弥陀仏()
本願()の
何()ともったいないことであろうか」と、しみじみと
お話()しになっておられました。
【『歎異抄』現代語版四八頁】
という、聖人のお言葉に私たちも耳を傾けましょう。私たちの目の前に開かれている道、それは、
阿弥陀如来あみだにょらい)の
本願ほんがん)に生きる道です。
(話題)
現在の世の中はどんな世の中でしょうか。その中に生きる私たちはどんな私たちでしょうか。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈()」の
依経段()
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
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