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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第163回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2025年3月
(34) 念仏のこころ
三河の国、浅井の後室、御いとまごひにとてまいり候に、富田殿へ御下向のあしたのことなれば、ことのほかの御とりみだしにて御座候に、仰せに、名号をただとなへて、 仏にまいらするこころにては、ゆめゆめなし。
弥陀を、しかと御たすけ候へとたのみまいらすれば、やがて、仏の御たすけにあづかるを、南無阿弥陀仏とまうすなり。
しかれば、御たすけにあづかりたることの、ありがたさよと、こころにおもひまいらするを、くちにいだして 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏とまうすを、仏恩を報ずるとはまうすことなりと、仰候ひき。
【意訳】
三河の国から浅井氏の
後室
(
こうしつ
)
が今生の 御
暇乞
(
いとまご
)
いにとはるばる上洛して、蓮如上人をおたずねになった。
そのとき、上人は富田の教行寺へ御下向になる朝であって、御下向の用意のためにことのほか御取込みのなかであったが、ねんごろに
御引見
(
おあい
)
になって仰せられた。
「南無阿弥陀仏という名号はただ口にとなえて、その功徳を仏にさしむけるものでは、決してない。
たしかに御たすけくださる弥陀の思召しのままにおまかせすれば、すぐにおたすけにあずかるを南無阿弥陀仏と申すのである。
それであるから御たすけにあずかったことの有難さよと、心によろこぶままが口にあらわれて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏ととなえるを、仏恩報謝の念仏と申すのである」 と仰せられた。
【解説】
南無阿弥陀仏の名号は、耳に聞いて信ずべきものである、ただ口に称えるだけのものではない。
信心の正因となり称名の報恩となって人生に
攪入
(
らんにゅう
)
することをさとされたのである。
『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
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我一人の為と思うべし
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