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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第162回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2025年2月
(33) 報謝の称名
南無阿弥陀仏の六字を、他宗には大善大功徳にてあるあひだ、となへて、この功徳を諸仏菩薩諸天にまいらせて、 その功徳をわがものがほにするなり。
一流には、さなし。この六字の名号、わがものにてありてこそ、となへて仏菩薩にまいらすべけれ。
一念一心に、後生たすけたまへとたのめば、やがて、御たすけにあづかることの、ありがたさありがたさとまうすばかりなりと、仰候なり。
【意訳】
南無阿弥陀仏の六字名号を称えるのに、他宗では、この六字名号は大善大功徳であるから、これを称えた功徳を諸仏諸菩薩さては諸天にさしあげてたすかろうと、称える功徳を わがもの顔にしていることである。
けれども、親鸞聖人の流れをくむわが真宗では、そうではない。
もし、この六字名号はわがものであるならば、それこそこれを称えて、仏菩薩にさしあげることもできようが、全く他力のおめぐみであるから、そんなことはできよう筋のものではない。
ただ、ひとすじに、後生たすけたまえとたのめば、すぐに御たすけにあずかることの有難や有難やとよろこんで、称名するだけであると、蓮如上人は仰せられた。
【解説】
同じ称名をするにも他宗とわが真宗とは、全然ちがっていることを識別されたのである。
名号
(
みょうごう
)
は善根功徳の本であるには相違ないが、これは自力の
作善
(
さぜん
)
でなくて、他力のめぐみである。
わがもの顔に
自力廻向
(
じりきえこう
)
すべきではない、仏力の救いを
感佩
(
かんぱい
)
する
報謝
(
ほうしゃ
)
の
称名
(
しょうみょう
)
であることを、
懇
(
ねんご
)
ろに示されている。
『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
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