《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

     
第161回  蓮如上人御一代記聞書れんにょしょうにんごいちだいきききがき新釋 更新 2025年1月

 (32) 正しい勤行
 のたまはく。朝夕、正信偈和讃にて、念仏まうすは、往生のたねになるべきか、なるまじきかと、をのをの坊主に御たづねあり。
 みなまうされけるは、往生のたねになるべしとまうしたる人もあり、往生のたねにはなるまじきといふ人もありけるとき、仰せに、 いづれもわろし。
 正信偈和讃は、衆生の弥陀如来を一念にたのみまいらせて、後生たすかりまうせとの、ことはりをあそばされたり。
 よくききわけて、信をとりて、ありがたやと、聖人の御前にてよろこぶことなりと、くれぐれ、仰せ候なり。
 
 【意訳】
 
 「朝夕正信偈をよみ六首の和讃のあいだに念仏をいれて 勤行おつとめは、 「往生の たねとなるのであるか、それとも往生の因とはならないのであるか」と蓮如上人は、それぞれ僧に御たずねになった。
 すると、各々、こたえ申すのには「往生の因となる」というものあり、「往生の因とはならない」というものもあった。
 そのとき、上人の仰せられるには「どちらも、わるい。正信偈といい和讃といい、衆生が阿弥陀如来をひとすじにたのみまいらせて、信心を正因として後生たすかる通理をさとされてある。
 この正信偈や和讃のおさとしを十分に聞きわけて信心の因をいただいたものは、ありがたいことであると、御開山聖人の御前にひざまずいてよろこぶ報謝のいとなみが、朝夕の勤行である」と、 念を入れて仰せられた。
 【解説】
 
  読誦どくじゅし念仏する勤行の正しい心持をさとされたのである。
 そして、まことに行き届いたおさとしである。
 朝夕の勤行は、全く報謝であって、往生の 因種たねすべきでないから、「往生の因となる」というのはまちがっている。
 それでは、「往生の因とはならない」というのはよいかというと、もし、往生の因となる信心をいただくように勧化せられることを無視して信心と勤行とは関係ないように軽視することもよろしくない。
 この勧化に随順して信心の因をいただくことが肝要である。
 この信心の正因をいただいてこそ、いよいよ報謝の勤行も如実につとめられるのであるという、いかにも行き届いた親切である。



 『蓮如上人御一代記聞書れんにょしょうにんごいちだいきききがき新釋』 
    梅原真隆うめはらしんりゅう
本願寺出版社
電話 075-371-4171
 

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