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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第149回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2024年1月
(19)
正定聚
(
しょうじょうじゅ
)
と
滅度
(
めつど
)
御たすけありたることのありがたさよと、念仏もうすべく候や、又 御たすけあらふずる事のありがたさよと念仏申すべく候やと、申あげさふらふとき。
仰せに、いずれもよし、ただし、正定聚のかたは御たすけありたるとよろこぶこころ、滅度のさとりのかたは御たすけあらふずることのありがたさよと申すこころなり。
いずれも、仏になることをよろこぶこころ。よしと、仰候なり。
【意訳】
「本願を信じて念仏申すのに、すでに御たすけにあずかったことの有難さよとおもうて、念仏申すのがよろしゅうございましょうか。
それとも、また命おわり次第、往生まちがいなく御たすけにあずかると思うて念仏申すべきでありましょうか。」とおたずね申し上げたとき、蓮如上人の仰せに、 「いずれもよろしい。但し、
正定聚
(
しょうじょうじゅ
)
の立場では、「御たすけありたる」と御たすけ以後のよろこびで念仏し、一方
滅度
(
めつど
)
のさとりをひらく点からは「御たすけあらふずる」ことのありがたやと、御たすけ以前のよろこびで念仏する。
しかし、いずれにしたところが、即ち
正定聚
(
しょうじょうじゅ
)
の
方
(
かた
)
も
滅度
(
めつど
)
の
方
(
かた
)
も、共に
詮
(
せん
)
ずるところおなじく仏になることをよろこぶこころであって、いずれもよろしい」とさとされた。
【解説】
これは 「
空善記
(
くうぜんき
)
」などによると、空善の
伺
(
うかが
)
うたことがわかる、蓮如上人と空善との対話である。
信後の念仏のよろこびをさとされたのである。
そして、信心の現在の
益
(
やく
)
は
正定聚
(
しょうじょうじゅ
)
であり、当来の
益
(
やく
)
は
滅度
(
めつど
)
であることを
識別
(
みわけ
)
してさとされてある。
ここに注意すべきことは、救いのかたちは現在と当来によって正定聚と滅度にわかれるが、共に成仏を内容とすることを明示されたことである。
※『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
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