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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第148回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2023年12月
(18) 他力の
催促
(
さいそく
)
仰に、ときどき懈怠することあるとき、往生すまじきかとうたがひなげくものあるべし。
然れども、もはや弥陀如来をひとたびたのみまいらせて、往生決定ののちなれば、懈怠おほくなることのあさましや、かかる懈怠おほくなるものなれども、御たすけは治定なり。
ありがたやありがたやとよろこぶこころを、他力大行の催促なりと申すと、仰せられ候なり。
【意訳】
蓮如上人は仰せられた。
「ときどき念仏の
相続
(
そうぞく
)
を怠り、有難いこころもおこらないときに、これでは往生できないのではなかろうかと案じ煩ろうこともあろう。
これは自分の思いのよしあしに眼をつけて、案じ
煩
(
わずら
)
うているので、本願におまかせしていない
所為
(
せい
)
である。
然しながら、弥陀如来の本願に
一度
(
ひとたび
)
おまかせすれば、たのむ一念のところで仏の
方
(
かた
)
より定めたもう往生であるから、ひとたび定めたもうた往生をわが
機
(
き
)
の
方
(
かた
)
より如何であろうとあやぶむべきではない。
わが
懈怠
(
おこたり
)
によって危ぶまれる往生ではないのである。
懈怠しては相すまぬ、大恩を受けながら懈怠することのあさましやと
慚愧
(
ざんぎ
)
して、かかる
徒
(
いたず
)
らものを御慈悲なればこそ救うてくださるのである、ありがたいことであると、いよいよ広大の御恩徳をよろこび、この御恩徳をおもえば、 どうして懈怠のこころに
放任
(
まか
)
していられようと、
嗜
(
たしな
)
まさせていただき、お念仏するようにたしなむことは、自分の力ではない、全く他力大行の御催しである」
と、仰せられた。
【解説】
これは
懈怠
(
けたい
)
によって仏の救いを見失う人々に対して、懈怠を
媒介
(
ばいかい
)
としていよいよ仏力の深刻なありがたさを
味
(
あじ
)
わわれたものであって、
絶対他力
(
ぜったいたりき
)
の救いの力強さをあらわされた仰せである。
※『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
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