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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第140回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2023年4月
(10)
佛心
(
ぶっしん
)
と
蓮華
(
れんげ
)
弥陀
(
みだ
)
の
大悲
(
だいひ
)
、かの
常没
(
じょうもつ
)
の
衆生
(
しゅじょう
)
のむねのうちにみちみちたるといへること
不審
(
ふしん
)
に候と、福田寺申しあげられ候。
仰
(
おおせ
)
に、
佛心
(
ぶっしん
)
の
蓮華
(
れんげ
)
はむねにこそひらくべけれ、はらにあるべきや。
弥陀
(
みだ
)
の心身の
功徳
(
くどく
)
、法界衆生の身のうち、こころのそこにいりみつともあり。
しかれば、ただ
領解
(
りょうげ
)
の心中をさしてのことなりと、
仰
(
おおせ
)
さふらひき。
ありがたきよしさふらふなり。
【意訳】
『
安心決定鈔
(
あんじんけつじょうしょう
)
』の 「
弥陀
(
みだ
)
の
大悲
(
だいひ
)
が、生死の海に沈んでいる
衆生
(
しゅじょう
)
の胸のうちにみちみちていられる」という言葉が、どうも
訝
(
いぶか
)
しいと
福田寺
(
ふくでんじ
)
が申しあげたとき、
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
)
は「佛心の蓮華 すなわち
弥陀
(
みだ
)
の
大悲
(
だいひ
)
は
衆生
(
しゅじょう
)
の胸のうちにいたりとどいて開いたのが信心である。
高原にひらく蓮華のことではない。
それであるから、 『
安心決定鈔
(
あんじんけつじょうしょう
)
』には弥陀の心身の功徳が、法界の衆生の身すなわち
所化
(
しょけ
)
の
衆生
(
しゅじょう
)
身のうちこころの底にいりみちたもうことを、『観経』には諸仏如来、是法界身、人一切衆生心想中と説かれるのであるとも述べてある。
してみれば、弥陀の大悲が衆生の胸のうちにいりみつということは、衆生の
領解
(
りょうげ
)
した信心の
開発
(
かいほつ
)
を指示されたものである」と
仰
(
おおせ
)
せられた。
これをきいて、福田寺はじめ一同のものは、有難いことであると感動した由である。
【解説】
これ『
安心決定鈔
(
あんじんけつじょうしょう
)
』の
機法一体
(
きほういったい
)
のことわりを、観念的に理解せしめずに、
名号
(
みょうごう
)
の
廻施
(
えせ
)
せられたる信心の風光として、如実に法味を
愛楽
(
あいぎょう
)
されたものである。
福田寺
(
ふくでんじ
)
が 『
安心決定鈔
(
あんじんけつじょうしょう
)
』の文について、おたずねしているのであるが、それも、文面をそのまま引いたのでなくて、文意をつかんで、
佛心
(
ぶっしん
)
が
衆生
(
しゅじょう
)
の心のうちに入るということは、どんな意味であろうかとおたずねしたのである。
これに対して、上人は信心の風光として、うちつけに、さとされたものである。
※『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
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