このページはインラインフレームを使用しています。
このページはインラインフレームを使用しています。
《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第137回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2023年1月
(七) 信力即ち
願力
(
がんりき
)
加賀の願生と覚善と又四郎に対して、信心といふは
弥陀
(
みだ
)
を一念御たすけ候へとたのむとき、やがて御たすけあるすがたを南無阿弥陀仏とまうすなり。
総じて つみはいかほどあるとも、一念の信力にてけしうしなひ給ふなり。
されば、
無始以来
(
むしいらい
)
、
輪転六道
(
りんでんろくどう
)
の
妄業
(
もうごう
)
、一念、南無阿弥陀仏と
帰命
(
きみょう
)
する
仏智無生
(
ぶっちむしょう
)
の
妙願力
(
みょうがんりき
)
にほろぼされて、
涅槃畢竟
(
ねはんひっきょう
)
の
真因
(
しんいん
)
、はじめてきざすところをさすなり、といふ御ことばをひきたまひて仰さふらひき。
さればこのこころを御かけ字に あそばされて、願生にくだされけり。
【意訳】
加賀の
菅生
(
すごう
)
の
願生
(
がんしょう
)
と
深谷
(
ふかや
)
の
覚善
(
かくぜん
)
(俗名は又四郎)とに対して、
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
)
は 「信心というのは、思召しのままに御たすけくださいませと、
弥陀
(
みだ
)
におまかせした一念に、すぐに御たすけなさるすがたを 南無阿弥陀仏と申すのである。いったい、われらの罪はどんなにたくさん つもっていても、仏をたのみたてまつる一念の信の力によって、 これを消滅して下さるのである」とのべ、そこで 「遠い遠い
往古
(
むかし
)
から六道をめぐって、迷いつづけてきた虚妄の業も、南無阿弥陀仏と
帰命
(
きみょう
)
する一念に、
仏智
(
ぶっち
)
のあらわれである
名号
(
みょうごう
)
の力に ほろぼされて、
涅槃
(
ねはん
)
をきわめる まことの因が、はじめて あさましい私どもの胸にも芽をふくのである」 という
存覚上人
(
ぞんかくしょうにん
)
の「
真要鈔
(
しんようしょう
)
」の御言葉を引いて、 蓮如上人は物語られるのであった。
そして、この御物語のこころを
懸字
(
かけじ
)
にかきしるして、
願生
(
がんしょう
)
へ
授与
(
じゅよ
)
なされたのであった。
【解説】
信心ひとつで救われる
所以
(
ゆえん
)
をお示しになった、門徒への
御示談
(
ごじだん
)
のひとつである。
信心は仏力の
全領
(
ぜんりょう
)
である、南無阿弥陀仏の
活
(
い
)
きた
姿
(
すがた
)
である。
そこで、
信心
(
しんじん
)
には迷の因である
罪業
(
ざいごう
)
を
消滅
(
しょうめつ
)
し
悟
(
さとり
)
の
因
(
いん
)
を
賦与
(
ふよ
)
するいわれがあることを、
説示
(
せつじ
)
されたのである。
※『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
聴聞の心得
トップページへ
聖典講座に戻る
書庫をみる
このページはインラインフレームを使用しています。