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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第136回
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋
更新
2022年12月
(六) 南無の
釈義
(
しゃくぎ
)
仰
(
おお
)
せに、南無といふは
帰命
(
きみょう
)
なり、帰命といふは
弥陀
(
みだ
)
を一念たのみまいらするこころなり。
また
発願回向
(
ほつがんえこう
)
といふは、たのむ
機
(
き
)
に やがて
大善大功徳
(
だいぜんだいくどく
)
をあたへたまふなり。
その体すなはち南無阿弥陀仏なりと仰候き。
【意訳】
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
)
の
仰
(
おお
)
せに 「南無いうのは
帰命
(
きみょう
)
である。
帰命
(
きみょう
)
というのは
弥陀
(
みだ
)
を一念たのみまいらするこころである。
また南無には
発願回向
(
ほつがんえこう
)
の義がある。
発願回向
(
ほつがんえこう
)
というのは、たのむ
衆生
(
しゅじょう
)
にすぐさま佛の方から
大善大功徳
(
だいぜんだいくどく
)
の
往生
(
おうじょう
)
の
行
(
ぎょう
)
を おあたえくださることである。
それが すなわち南無阿弥陀仏である」と。
【解説】
これは
善導
(
ぜんどう
)
の 『
観経疏
(
かんぎょうしょ
)
』
玄義分
(
げんぎぶん
)
の
六字釈義
(
ろくじしゃくぎ
)
すなわち 「言南無者即是帰命、亦是発願回向之義、 言阿弥陀仏 者即是其行、以 斯義 故必得往生」を うけて、南無阿弥陀仏を解釈されたものである。
蓮如上人
(
れんにょしょうにん
)
は一生のあいだ常に
六字釈義
(
ろくじしゃくぎ
)
を
基準
(
きじゅん
)
として教化せられた。
そして、この六字名号には
帰命
(
きみょう
)
と
発願回向
(
ほつがんえこう
)
と
即是其行
(
そくぜごぎょう
)
と
信願行
(
しんがんぎょう
)
の三項がふくまれてある、この三項については、これを法に約し
機
(
き
)
に約するなど、種々の味わい方があって、それぞれ、妙趣をみがき出されてある。
いま、ここには
帰命
(
きみょう
)
は阿弥陀仏の
勅命
(
おおせ
)
に
帰順
(
きじゅん
)
するを
衆生
(
しゅじょう
)
の
信心
(
しんじん
)
となし、
発願回向
(
ほつがんえこう
)
を佛が
本願
(
ほんがん
)
をおこして
衆生
(
しゅじょう
)
の
往生
(
おうじょう
)
する
善根功徳
(
ぜんごんくどく
)
を
廻施
(
えせ
)
したもうこととなし、さらに 阿弥陀仏は その
廻向
(
えこう
)
せられる
行
(
ぎょう
)
であるとなされてある。
そこで南無の二字は
機法一体
(
きほういったい
)
のいわれをもつものであることを示し、その南無の二字は そのまま南無阿弥陀仏であることをあらわし、
大信
(
だいしん
)
も
大行
(
だいぎょう
)
も
他力廻向
(
たりきえこう
)
であるという
真宗
(
しんしゅう
)
の特徴を
開顕
(
かいけん
)
せられたものである。
※『
蓮如上人御一代記聞書
(
れんにょしょうにんごいちだいきききがき
)
新釋』
梅原真隆
(
うめはらしんりゅう
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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