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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第125回
女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
「
善導大師
(
ぜんどうだいし
)
の教え【2】」
更新
2022年1月
28
善導大師
(
ぜんどうだいし
)
の教え【2】
「
開入本願大智海
(
かいにゅほんがんだいちかい
)
」
【本願の大智海に開入すれば】
「
行者正受金剛心
(
ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん
)
」
【行者まさしく金剛心をうけしめ】
「
慶喜一念相応後
(
きょうきいちねんそうおうご
)
」
【慶喜の一念相応してのち】
「
与韋提等獲三忍
(
よいだいとうぎゃくさんにん
)
」
【韋提とひとしく三忍をえ】
「
即証法性之常楽
(
そくしょうほっしょうしじょうらく
)
」
【すなわち法性の常楽を証せしむといへり】
私たちの不確実な
相
(
すがた
)
と、確かな阿弥陀如来を知らせてくださる光明と、 「
小賢
(
こざか
)
しいはからいを捨てて、私にまかせなさい」と呼びつづけてくださる名号のはたらきによって、 すべてのものが光輝き、照らし合って
障碍
(
しょうげ
)
することのない、大海のような広い本願の世界が開かれ、明らかになるのです。
そして、小さな殻に閉じこもっている私を、その広い本願の世界に生きる身にしあげてくださるのです。
また、光明・名号のはたらきは、念仏申す行者に、
阿弥陀如来の、どんなことがあっても壊れることのない
「
金剛
(
こんごう
)
の
真心
(
しんしん
)
」を、正しく受けとめさせてくださるのです。
「金剛の真心」を正しく受けとめるとは、自分の小賢しいはからいをまじえず、ただ、ほれぼれと一すじに
阿弥陀如来のお心を頂くことです。
正受とは、正しい信心ということであります。
阿弥陀如来のお心が、金剛(ダイヤモンド)にたとえられるのは、
1 自分のことしか考えない
煩悩
(
ぼんのう
)
が、まったくまじっていないからです。
善導大師
(
ぜんどうだいし
)
は、
「
金剛
(
こんごう
)
」と言ふは、即ち是れ
無漏
(
むろ
)
(煩悩が漏れない)之体なり。
(『
定善義
(
じょうぜんぎ
)
』)
と、教えてくださいます。
2 どのような状況におかれても、
腐
(
くさ
)
ることもなければ、壊れることもないからです。
源信和尚
(
げんしょうかしょう
)
は、
金剛は
百千劫
(
ひゃくせんごう
)
に於いて水中に処して、
爛壊
(
らんかい
)
せず、
亦
(
また
)
異変
(
いへん
)
無
(
な
)
きが
如
(
ごと
)
し。
(『
往生要集
(
おうじょうようしゅう
)
』)
と、お示しくださいます。
3 過去・現在・未来にわたるどのような悪業や
煩悩
(
ぼんのう
)
をも、うちくだいてしまうはたらきがあるからです。
『
涅槃経
(
ねはんきょう
)
』に
金剛智
(
こんごうち
)
有
(
ましま
)
して、
能
(
よ
)
く
衆生一切
(
しゅじょういっさい
)
の悪罪を破したまふ。
と、あかされています。
このような、素晴らしい力とはたらきのある阿弥陀如来のお心を頂くということは、自分のことでありながら、どこにいくかわからないような、本当に あてにならない私の人生が、確かな阿弥陀如来のお心に
抱
(
いだ
)
かれて、必ずお浄土に生まれさせて頂くに間違いない確かな人生になるということです。
これほどのよろこびが他にあるでしょうか。
この阿弥陀如来の金剛心を頂いたよろこびを
「
慶喜
(
きょうき
)
」といいます。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、
慶喜
(
きょうき
)
と申し
候
(
そうろ
)
ふことは他力の信心を
獲
(
え
)
て
往生
(
おうじょう
)
を
一定
(
いちじょう
)
してむずとよろこぶ心を申すなり。
(『御消息集』)
と、「
慶喜
(
きょうき
)
」の心を力強い言葉であきらかにしてくださいます。
このよろこびは、阿弥陀如来の「どんなことがあってもあなたを必ず救わずにはおかない」という本願に相応し、 「どんなことがあっても、私がいるよ。私はあなたを見捨てないよ」と呼びつづけてくださる南無阿弥陀仏のおいわれに相応し、私の小賢しい はからいをまじえず、阿弥陀如来のお心のままに頂く信心に相応しています。
それは、ちょうど『観無量寿経』の中心人物であります
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
が
三忍
(
さんにん
)
(最高のおさとり)を得たよろこびと同じであります。
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
の物語については、すでにご存知の方も多いと思いますが、 すこしふれておきたいと思います。
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
は、釈尊当時の中インドの強大国 マガダ国のビンバサラ王の正妻で、アジャセの母であります。
いろいろこみいった事情があって、アジャセ太子は、父ビンバサラ王を
牢獄
(
ろうごく
)
に閉じ込め、餓死させ、王位につきます。
そして、母の
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
も
牢獄
(
ろうごく
)
に閉じ込めてしまいます。
わが子からそのような仕打ちを受けた
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
は、なげき悲しみ、釈尊に救いを求めます。
しかし、
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
が、わが子アジャセからそのような仕打ちを受けるには、 受けるだけの理由があったのです。
それも、
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
自らの生き方にあったのです。
そんなことをすべて忘れて「どうしてこんな悲しい目に
遭
(
あ
)
わねばならないのか」とグチる
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
のうえに、私たちと同じ凡夫そのものの姿を見ることができます。
凡夫そのものである
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
が、釈尊のこんこんと説かれる阿弥陀如来の真実に
遇
(
あ
)
って、三忍を得られたのです。
三忍とは、喜忍、悟忍、信忍のことです。
喜忍
(
きにん
)
とは、阿弥陀如来の金剛心に
遇
(
あ
)
った信心によって与えられる、消えることのないよろこびであります。
悟忍
(
ごにん
)
とは、阿弥陀如来の、どんなことがあっても間違うことのない確かなお心が あきらかになることです。
この確かなお心一つをよりどころに、精一杯生きるだけで、私たちはお浄土に生まれることができるのです。
信忍
(
しんにん
)
とは、阿弥陀如来の確かな本願に、
露塵
(
つゆちり
)
ほどの疑いもなくなることです。
私たちはお浄土に生まれさせて頂く身に
安
(
やす
)
んじて、再び動転することのない日暮らしをさせて頂くのです。
私たちは、阿弥陀如来の光明と名号のはたらきにおいて、
韋提希夫人
(
いだいけぶにん
)
にひとしく、この三忍を得るのです。
それは、そのまま、阿弥陀如来の真実のお浄土に生まれ、真実の楽しみ、すなわち
煩悩
(
ぼんのう
)
に引きずり回されたり、苦しみに一転するようなことのない永遠の楽しみを得るのです。
常楽の常は、常住ということで、
衰変
(
すいへん
)
することがないという意味ですし、楽は煩悩を離れた永遠の安楽であります。
親鸞聖人は
「善導大師が光明・名号のはたらきによって、信心を頂き、間違いなくお浄土に生まれる身
(
正定聚
(
しょうじょうじゅ
)
)に仕上げられ、必ずお浄土に生まれる
(
滅度
(
めつど
)
)ことをあきらかにしてくださったこと」
を、何よりも何よりもよろこばれるのであります。
※『女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
』
藤田徹文
(
ふじたてつぶん
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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