《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

     
第124回 女性のための正信偈しょうしんげ
善導大師ぜんどうだいしの教え【1】」
更新 2021年12月

 27 善導大師ぜんどうだいしの教え【1】
 

 「善導独明仏正意ぜんどうどくみょうぶっしょうい
【善導ひとり仏の正意をあきらかにせり】
 「矜哀定散与逆悪こうあいじょうさんよぎゃくあく
【定散と逆悪とを矜哀して】
 「光明名号顕因縁こうみょうみょうごうけんいんねん
【光明名号因縁を顕わす】

  善導大師ぜんどうだいし(613~681)は、中国の随(ずい)から唐(とう)の時代に 活躍してくださった高僧です。
 幼くして、 三論宗さんろんしゅう三信さんしんと、そうでない信心の すがたをあらわす 明勝法師みょうしょうほっしについて出家されましたが、たまたま 『観無量寿経』にふれて、浄土の教えに入り、後に、 道綽禅師どうしゃくぜんじの指導を仰いで念仏をよろこばれ、都の 長安ちょうあんを中心に伝道に生きられました。
 善導大師ぜんどうだいし道綽禅師どうしゃくぜんじに遇われたのは二十九歳、もしくはそれより少し以前ではないかといわれています。
 道綽禅師どうしゃくぜんじは、 善導大師ぜんどうだいしが三十三歳の時に亡くなられましたので、直接、 道綽禅師どうしゃくぜんじのご指導を受けられたのは、長くても十年までであります。
 人と人との交わりの深さは、時間だけでは決まらないようです。
 道綽禅師どうしゃくぜんじのご教化によって、念仏に遇われた 善導大師ぜんどうだいしのよろこびは、 『観経四帖疏かんぎょうしじょうしょ』 (玄義分げんぎぶん序分義じょぶんぎ定善義じょうぜんぎ散善義さんぜんぎ)、 『法事讃ほうじさん』、 『観念法門かんねんぼうもん』、 『往生礼讃おうじょうらいさん』、 『般舟讃はんじゅさん』の五部九巻の書物によって知ることができます。
   善導大師ぜんどうだいしが、これらの書物によって明らかにしてくださったことは、申すまでもなく、南無阿弥陀仏の み教えでありますが、その当時、 善導大師ぜんどうだいし以外の仏教者は「念仏は能力や資質の劣ったもののために、 かりにもうけられた手だてだ」と、考えていました。
 そのような中で、 善導大師ぜんどうだいしただひとり、すべての人がひとしくすくわれていく道は、念仏しかないこと、 それも念仏一つですくわれるのであって、そこになにもつけ加える必要のないことを明らかにしてくださいました。
 心をひとところにとどめて、真実を観きわめ、念じていこうという 定善じょうぜんの人も、みだれる心をかかえながらも悪をやめ、善を行じていこうとする 散善さんぜんの人も、五逆の人(信心の 利益りやく①のところを参照してください)も、また、生きものを殺し、(殺生)、 ぬすみをはたらき (偸盗ちゅうとう)、男女間でよこしまな関係をもち、 (邪淫じゃいん)、うそをつき (妄語もうご)、二枚舌を使い (両舌りょうぜつ)、他人の悪口をいい(悪口)、心にもないお上手をいい (綺語きご)、むさぼり (貪欲とんよく)、いかり (瞋恚しんに)、真実を知る事のないおろかさを生きる(愚痴)というような十悪に明け暮れる人も、 南無阿弥陀仏一つで、この人生を生ききり、お浄土まで生まれることができるということを、 善導大師ぜんどうだいしは明らかにしてくださったのです。
   定善じょうぜんの人も、 散善さんぜんの人も、十悪の人も、みんな自らの幸せを求めて生きているのです。
 幸せを求めながら、どのみちを行けば幸せになれるかがわからずに苦しみ、悩み、あげくの果て4には、自らの幸せのために周りの人を傷つけ、 親までもないがしろにし、あまつさえ、如来さまを傷つけながら、もがき、のたうちまわっているのです。
 こんな私たちを善導大師は悲しまれて、光明と名号のはたらきによって、すくわれていく道のあることをあきらかにしてくださったのです。
 すなわち、光明は、もがけばもがくほど自らの首をしめていく私たちのありのままの すがたを知らせ、どんなことがあっても私たちを見捨てることのない確かな阿弥陀如来を 知らせてくださるはたらきです。
 また、名号は、自らの幸せを求めるあまり、他人をだまし、他人を傷つけていく私たちに、「小さなはからいを捨てて、私の大きな胸にとびこんでおいで・・・」 と呼びつづけてくださるはたらきです。
 この光明と名号の因縁によって、「自らのはからいを捨てて、阿弥陀如来におまかせするしか私の生きる道はない」ということが明らかになるのです。
 このように明らかになることを信心というのです。
 この信心の世界にでて、初めて、すべてのものがよろこんで生きる道が開かれるのです。
 それはそのまま、定善の善人も、逆悪の悪人も、ひとしく浄土に生まれることができる道なのです。
 このことを明らかにしてくださったのが、随唐の時代において、善導大師ただひとりなのです。
 善導大師ただひとり、明らかにしてくださったみ教えが、法然上人、親鸞聖人によって間違いなく、私たちに届いているのです。
 そのことを、 親鸞聖人しんらんしょうにんは、 弥陀みだ本願ほんがんまことにおはしまさば、釈尊の説教 虚言こごんなるべからず。
 仏説まことにおはしまさば、善導の御釈 虚言こごんしたまふべからず。
 善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。
 法念のおほせまことならばね親鸞がまふす むねまたもて むなしかるべからず 候歟そうろうか

    (「歎異抄たんにしょう」」

 
 と、力強く述べておられるのです。  
 



※『女性のための正信偈しょうしんげ』 
    藤田徹文ふじたてつぶん
本願寺出版社
電話 075-371-4171
 

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