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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第122回
女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
「
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
の教え【1】」
更新
2021年10月
25
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
の教え【1】
「
道綽決聖道難証
(
どうしゃくけっしょうどうなんしょう
)
」
【道綽 聖道の証しがたきを決して】
「
唯明浄土可通入
(
ゆいみょあじょうどかつうにゅう
)
」
【ただ浄土の通入すべきことを明かす】
「
万善自力貶勤修
(
まんぜんじりきへんごんしゅう
)
」
【万善の自力 勤修を貶す】
「
円満徳号勧専称
(
えんまんとくごうかんせんしゅう
)
」
【円満の徳号 専称をすすむ】
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
(五六二~六四五)は、曇鸞大師がおなくなりになられて二十年目に お生まれになりました。
それは、当時考えられていた仏滅時代から計算しますと、仏滅千五百十一目に当たります。
正法の時代が五百年、像法の時代が千年ですから、道綽禅師は、末法の時代に入ったころにお生まれになったということになります。
この末法の世に生まれたという意識が道綽禅師の教えの底に流れているのです。
道綽禅師は 『
涅槃経
(
ねはんぎょう
)
』を主に勉強され、講義すること二十四回にもおよんだといわれています。
しかし、四十八歳の時、曇鸞大師のおられた
玄忠寺
(
げんちゅうじ
)
に
参詣
(
さんけい
)
し、曇鸞大師の生涯を記した碑文にふれ、阿弥陀如来のみ教えに帰依されました。
阿弥陀如来のみ教えに
帰
(
き
)
してからは、『観無量寿経』に心を寄せ、生涯に二百回以上も講讃され、また、この経典を明らかにするために 『安楽集』二巻を著してくださいました。
そして、自ら日に七万べんのお念仏をされるとともに、多くの人にお念仏を勧められました。
道綽禅師は、末法の時代において、自分の力をよりどころに、この世でさとりを開き、仏になるという聖者の道を歩むことが難しいこと-を明らかにし、
聖道
(
しょうどう
)
が私たちの歩む道でないことをはっきりとしてくださいました。
そして、私たちがさとりを開き、仏になる唯一の道は、阿弥陀如来のみ教えに信順して、お浄土に生まれさせていただくことであると、明らかにしてくださいました。
自分の力をよりどころにして、すべての善をつとめ修することによって、さとりを開き、仏になろうとする自力の教えは理論としては筋が通っていますが、 理論だけでさとりを開くことはできません。
そこに実践修行することがなければ、仏道を歩むことにはなりません。実践修行することのできないものにこだわって、
空
(
むな
)
しく時を過ごすほど、
馬鹿
(
ばか
)
げたことはありません。
そこで道綽禅師は、自分の力をよりどころに万善をつとめ修する道をきらい、私たちがさとりを開き、仏になる道ではない-と除かれたのです。
「何事も自力でなければ・・・」などという言葉をよく耳にしますが、自力とは、ただ単に「自分の力」という意味ではありません。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、
「自力」といふは我が身をたのみ我が心をたのむ、我力をはげみ我がさまざまの善根をたのむ人なり。
(『一念多念証文』)
と、教えてくださいます。
すなわち、「自力」とは、自分の身体・心・自分がやってきたことを唯一のよりどころとし力として、この人生を生ききり、その上、さとりを開いて仏になろうとする 生き方であります。
自分の身体が、なかなかいうことをきいてくれなくて
難儀
(
なんぎ
)
し、自分自身ですら、あきれるような、勝手気ままな心に振り回され、やったことはといえば、 恥ずかしくて人前でいえないようなことしかせず、後悔の種ばかりまいてきたものにとって、いくら「自力」が素晴らしくても自分の道とはならないのです。
一時も早く、自力の道に踏ん切りをつけて、「どんなことがあろうが、私がいますよ。やり直しのきかない人生、精一杯前を向いて歩んで行きなさい」と
励
(
はげ
)
まし、力づけてくださる南無阿弥陀仏をよりどころに生きなさいと、勧めてくださるのが 道綽禅師の教えなのです。
「どんなことがあろうが、私がいます。あなたを決して見捨てることはありません。」とおっしゃる「南無阿弥陀仏」の名号の中に、阿弥陀如来のすべての思いと、 すべての
功徳
(
くどく
)
が、何一つ欠けることなく、こめられているのです。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、名号を
斯
(
こ
)
の行は、
即
(
すなわ
)
ち
是
(
こ
)
れ、
諸
(
もろもろ
)
の
善法
(
ぜんぽう
)
を
摂
(
せつ
)
し、
諸
(
もろもろ
)
の
徳本
(
とくほん
)
を
具
(
ぐ
)
せり、
極速円満
(
ごくそくえんまん
)
す、
真如一実
(
しんにょいちじつ
)
の
功徳宝海
(
くどくほうかい
)
なり、
故
(
ゆえ
)
に
大行
(
だいぎょう
)
と
名
(
なづ
)
く。
(『教行信証』行巻)
と
讃
(
たた
)
えられています。
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
は、私たちがこの人生を生ききり、仏になる唯一の道として、もっぱら 「南無阿弥陀仏」の名号をとなえることを勧めてくださるのであります。
※『女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
』
藤田徹文
(
ふじたてつぶん
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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