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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第114回
女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
「
七高僧
(
しちこうそう
)
のすすめ」
更新
2021年2月
17
七高僧
(
しちこうそう
)
のすすめ
「
印度西天之論家
(
いんどさいてんしろんげ
)
」
【印度西天の論家】
「
中夏日域之高僧
(
ちゅうかじちいきしこうそう
)
」
【中夏日域の高僧】
「
顕大聖興世正意
(
けんだいしょうこうしょうせいい
)
」
【大聖興世の正意をあらわし】
「
明如来本誓応機
(
みょうにょらいほんぜいおうき
)
」
【如来の本誓 機に応ぜることを明かす】
『大無量寿経』のみ教えをおよろこびになっておすすめくださった親鸞聖人は、つづいて『大無量寿経』のお心をあきらかにしてくださった七高僧の ご解釈とおすすめをよろこばれるとともに、それを私たちにおすすめくださるのです。
七高僧
(
しちこうそう
)
とは、中国の西、昔、
天竺
(
てんじく
)
と呼ばれた
印度
(
いんど
)
の
龍樹菩薩
(
りゅうじゅぼさつ
)
・
天親菩薩
(
てんじんぼさつ
)
・ 中国の
曇鸞大師
(
どんらんだいし
)
・
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
・
善導大師
(
ぜんどうだいし
)
・ 日本の
源信和尚
(
げんしんかしょう
)
・
源空上人
(
げんくうしょうにん
)
(法然上人)のことです。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、なぜ、 この七高僧のご解釈とおすすめをおよろこびになったかといいますと、この七高僧は、それぞれ釈尊がこの世に出てくださった本意、すなわち、 「
決定
(
けつじょう
)
して
此
(
こ
)
の道を
尋
(
たず
)
ねて行け」と、阿弥陀如来の本願をすすめ、すべての人に真実の
利益
(
りやく
)
を与えてやりたいというお心を
顕
(
あき
)
らかにしてくださったからです。
そして、それを
顕
(
あき
)
らかにしてくださるのも、先人の口真似ではなく、それぞれ自らの生命をかけ、自らの問題として、 自らの言葉で私たちにも受けとれるように、 「
汝一心正念
(
なんじいっしんしょうねん
)
にして、
直
(
ただち
)
に来たれ、われよく汝を
護
(
まも
)
らん」という阿弥陀如来の本願を明らかにしてくださったのです。
どうして、七高僧が阿弥陀如来の本願をあきらかにしてくださったことがわかるのかといいますと、七高僧は、それぞれ阿弥陀如来の本願を よろこばれたお書物を残してくださっているからです。
では、七高僧はどのような書物を残し、どのように阿弥陀如来の本願をあきらかにし、おすすめくださったのかといいますと、
龍樹菩薩
(
りゅうじゅぼさつ
)
は 『
十住毘婆沙論
(
じゅうじゅうびばしゃろん
)
』の
易行品
(
いぎょうぼん
)
において、仏になる道を
難行道
(
なんぎょうどう
)
と
易行道
(
いぎょうどう
)
に分け、易行道である阿弥陀如来のみ名をとなえる道をすすめてくださるのです。
天親菩薩
(
てんじんぼさつ
)
は『浄土論』をつくって、阿弥陀如来におまかせする一心の信心の大切さを 教え、すすめてくださいます。
曇鸞大師
(
どんらんだいし
)
は『浄土論』を
注釈
(
ちゅうしゃく
)
した『
往生論註
(
おうじょうろんちゅう
)
』で、自力・他力を明らかにして、他力の道をすすめてくださいます。
道綽禅師
(
どうしゃくぜんじ
)
は『安楽集』を
著
(
あらわ
)
して、仏道に
聖道
(
しょうどう
)
・
浄土
(
じょうど
)
の二門のあることをあきらかにし、阿弥陀如来の浄土に生まれる道を すすめてくださいます。
善導大師
(
ぜんどうだいし
)
は『観無量寿経』を注釈した 『
観経疏
(
かんぎょうしょ
)
』で、南無阿弥陀仏一つで往生することをあきらかにし、南無阿弥陀仏を 深く信じる信心の道をすすめてくださいます。
源信和尚
(
げんしんかしょう
)
は 『
往生要集
(
おうじょうようしゅう
)
』を
著
(
あらわ
)
して、浄土に 「真実の
報土
(
ほうど
)
」をねがうものは、本願の
名号
(
みょうごう
)
を信受することをすすめてくださいます。
源空上人
(
げんくうしょうにん
)
は 『
選択本願念仏集
(
せんじゃくほんがんねんぶつしゅう
)
』を選述して、南無阿弥陀仏一つが 往生の
業
(
ごう
)
であるとあきらかにし、「ただ念仏」の道をすすめてくださいます。
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、この七高僧のご解釈とおすすめによって、釈尊の ご本意を知り、阿弥陀如来のご本願に
遇
(
あ
)
われたのです。
それで、親鸞聖人は、
親鸞めずらしき法をもひろめず、如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり
(『
御文章
(
ごぶんしょう
)
』)
愚禿
(
ぐとく
)
すすむるところ、さらに私なし。
(『
御伝鈔
(
ごでんしょう
)
』)
と、いわれ、生涯 阿弥陀如来・釈尊のご恩をよろこばれるとともに、この七高僧のご解釈とおすすめをよろこばれたのです。
ですから、親鸞聖人はその主著『教行信証』におきましても、要所要所にそのよろこびを述べられています。
まず 『
総序
(
そうじょ
)
』において、
爰
(
ここ
)
に
愚禿釈
(
ぐとくしゃく
)
の親鸞、
慶
(
よろこ
)
ばしき
哉
(
かな
)
や、
西蕃
(
せいばん
)
・
月支
(
げっし
)
の
聖典
(
しょうてん
)
、
東夏
(
とうか
)
・
日域
(
じついき
)
の
師釈
(
ししゃく
)
に、
遇
(
あ
)
い難くして今
遇
(
あ
)
うことをえたり。
と、感嘆され、「信の巻」の『別序』では、
爰
(
ここ
)
に
愚禿釈
(
ぐとくしゃく
)
の親鸞、諸仏如来の真説に
信順
(
しんじゅん
)
して、
論家
(
ろんげ
)
・
釈家
(
しゃくけ
)
の
宗義
(
しゅうぎ
)
を
披閲
(
ひえつ
)
し、広く
三経
(
さんぎょう
)
の
光沢
(
こうたく
)
を
蒙
(
こうむ
)
りて、特に一心の
華文
(
かもん
)
を開き、
旦
(
しばら
)
く疑問を至して遂に明証を出す。
と、いわれ、 「
化身土の巻
(
けしんどのかん
)
」にあります 『
後序
(
ごじょ
)
』では、
慶
(
よろこば
)
しき
哉
(
かな
)
、心を
弘誓
(
ぐぜい
)
之
(
の
)
仏地
(
ぶつじ
)
に
樹
(
た
)
て、
念
(
おもい
)
を
難思
(
なんじ
)
之
(
の
)
法海
(
ほうかい
)
に流す。
深く如来の
矜哀
(
こうあい
)
を知りて、
良
(
まこと
)
に
師教
(
しきょう
)
の
恩厚
(
おんこう
)
を
仰
(
あお
)
ぐ。
慶喜
(
きょうき
)
いよいよ
至
(
いた
)
り、
至孝
(
しこう
)
いよいよ重し。
と、およろこびになっているのです。
※『女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
』
藤田徹文
(
ふじたてつぶん
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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