《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

     
第113回 女性のための正信偈しょうしんげ
慈悲じひのいましめ」
更新 2021年1月

 16 慈悲じひのいましめ
 

 「弥陀仏本願念仏みだぶつほんがんねんぶつ
【弥陀仏の本願念仏は】
 「邪見驕慢悪衆生じゃけんきょうまんあくしゅじょう
【邪見驕慢悪衆生】
 「信楽受持甚以難しんぎょうじゅじじんになん
【信楽受持すること甚だもって難し】
 「難中之難無禍斯なんちゅうしなんむかし
【難の中の難これにずきたるはなし】

 「の中の 蛙大海かわずたいかいらず」という ことわざがありますが、お互いはどうでしょうか。
 かえるみずから井戸まで掘りませんが、私たちは自ら 「私が、私が」という 我執がしゅうの小さな井戸を掘って、その中にとじこもり、少し物事が順調にすすむと、 「私一人の努力が、苦労が実った」と、うぬぼれて自らを見失い、物事が順調に運ばないと、「あの人がつまらないから」「この人がつまらないから」 「世の中がつまらないから」と、あたりちらして おのれを見失います。
 家でも留守にするということは、いろいろ心配なものです。
 いわんや、自らを見失い、自らを留守にするほど悲しいことはありません。
 自らの身の危険にも気づかずに、井戸の中でうぬぼれたり、あたりちらしている私たちです。
 「太陽の照り輝く、広い広い大海のような真実の世界を知らせてやりたい。真実の世界に出してやりたい」という阿弥陀如来の本願は、 「ここに広い広い真実の世界があるよ。一時も早く、そんな狭い暗い井戸の中から出てきなさい。今いる井戸の中を自分の 故郷ふるさとと思い込んでいるのだろうが、あなたの本当の 故郷ふるさとは、 このみのりの光が輝く真実の世界なのです。 すぐに帰ってきなさい」という南無阿弥陀仏の呼び声となって、井戸の中でウロウロする私を抱きかかえにきてくださっているのです。
 私たちは、この呼び声に 信順しんじゅんするだけで、小さな井戸の中から出られるのです。
 私を呼んでくださる南無阿弥陀仏の呼び声をよろこび、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と お念仏申しながら歩ましてもらうままが、真実の世界、本当の故郷に帰る人生となるのです。
 何と やさしい、何と素晴らしい道でしょうか。
 ところが、この優しい道を、難しいものにしてしまう人がいます。
 他人事ではありません。私もこの易しい道を難しいものにして苦しんできました。
 では、どういう人が易しい道を難しくしているのでしょうか。
 それは、 邪見じゃけんの人と 驕慢きょうまんの人です。
邪見じゃけんの人とは、「自分の考えが一番正しい」と思いこんで、 如来のみ教えに耳をふさいでいる人のことです。
 自分の考えに 固執こしゅうし、耳をふさいでいる限り、耳もとまできて呼んでくださる南無阿弥陀仏の呼び声も 聞こえません。
 それで易しいものでも難しくなるのです。
 この邪見がみ教えを聞く最大の敵です。
 私たちは邪見のために次のようなことになっています。
 
 1 自らがかたくなになり、心から語り合える友ができません。
 2 真実なるものに 帰敬ききょうすることがなく、たたりや罰を説く神を恐れます。
 3 正しい考えができず、日や方角等の 良悪よしあしにとらわれます。
 4 真実を求める真の友に えません。
 5 真実の世界への道を歩むことができません。
 
 驕慢きょうまんの人とは、自分の家柄・財産・地位・健康・知識・ 美貌(びぼう)・能力等を誇り、他の人の言うことを軽視する人です。
 さらにいいますと、その気になれば自分の能力で仏になることさえ可能だと思いこんでいる人です。
 このような人は、他の人の言うことを鼻であしらい、如来のみ教えさえも、まともに聞こうとはしませんから、南無阿弥陀仏の呼び声が 耳に届いていましても、受けとめることもなく、聞き流してしまいます。
 それで易しい道も結局、難しいものになるのです。
 この 邪見じゃけん驕慢きょうまんの人が、 南無阿弥陀仏の呼び声に うことは、ただ難しいというだけではありません。
 それは 極難ごくなんといわれ、これ以上の難しいことはないという難しさであるといわれるのです。
 釈尊がこのことを『大無量寿経』の最後に説かれ、また親鸞聖人が『大無量寿経』のみ教えをよろこばれる最後にひかれるお心は、いったいどこにあるのでしょうか。
 ただ単に難しさを強調し、み教えの高遠なることを言おうとされたのではありません。
 常に 邪見じゃけん驕慢きょうまんのとりこになって、み教えに耳をふさいだり、み教えを聞き流す私たちに、 釈尊は慈悲の心から、そのことをきびしくいさめてくださるのです。
 また、親鸞聖人は、
 
 がたくして今 うことをえたり、 聞き がたくして すでに聞くことをえたり。
     【「教行信証」総序】
 
 のよろこびを、私たちにも味わってほしいと願って、この慈悲のいましめをここにあげてくださったのではないでしょうか。
 




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    藤田徹文ふじたてつぶん
本願寺出版社
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