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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第106回
女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
「
救
(
すく
)
いのひかり」
更新
2020年6月
9
救
(
すく
)
いのひかり
「
普放無量無辺光
(
ふほうむりょうむへんこう
)
」
【あまねく無量・無辺光】
「
無碍無対光炎王
(
むげむたいこうえんのう
)
」
【無碍・無対・光炎王】
「
清浄歓喜智慧光
(
しょうじょうかんぎちえこう
)
」
【清浄・歓喜・智慧光】
「
不断難思無称名
(
ふだんなんじむしょうこう
)
」
【不断・難思・無称光】
「
超日月光照塵刹
(
ちょうにちがっこうしょうじんせつ
)
」
【超日月光を はなって塵刹を照らす】
「
一切群生蒙光照
(
いっさいぐんじょうむこうしょうう
)
」
【一切の群生 光照を こうむる】
「南無阿弥陀仏」の
名号
(
みょうごう
)
となって、 私たちの胸に
至
(
いた
)
り届いてくださる阿弥陀如来は、また、光明となって、私たちを はぐくみ、そだて、救ってくださるのです。
その光明のはたらきが十二の面から とかれます。
1 無量光 阿弥陀如来のはたらきは、現在・過去・未来 いつも照らし続けてくださる かぎりない はたらきであります。
智慧
(
ちえ
)
の光明はかりなし
有量
(
うりょう
)
の諸相ことごとく
光暁
(
こうけう
)
かむらぬものはなし
真実明
(
しんじつみょう
)
に
帰命
(
きみょう
)
せよ
(「浄土和讃」)
と よろこばれます。
2 無辺光 阿弥陀如来の はたらきのおよばないところはありません。「観無量寿経」には
一々の光明
徧
(
あまね
)
く十方世界を照らし、念仏の衆生を
摂取
(
せっしゅ
)
して捨てたまわず
と説かれますし、聖人は
解脱
(
げだつ
)
の
光輪
(
こうりん
)
きわもなし
光触
(
こうそく
)
かむるものはみな
有無
(
うむ
)
を はなると のべたもう
平等覚
(
びょうどうかく
)
に
帰命
(
きみょう
)
せよ
と おしめしくださいます。
3
無碍光
(
むげこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、なにものにも さまたげられることのない、自由自在の はたらきなのです。聖人は
光雲
無碍如虚空
(
むげにょこくう
)
一切の
有碍
(
うげ
)
に さわりなし
光沢
(
こうたく
)
かむらぬものぞなき
難思議
(
なんじぎ
)
を
帰命
(
きみょう
)
せよ
と おすすめくださいます。
4
無対光
(
むたいこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、 何ものとも くらべようがありません。それで、聖人は
清浄光明
(
しょうじょうこうみょう
)
ならびなし
遇斯光
(
ぐしこう
)
のゆえなれば
一切
(
いっさい
)
の
業繋
(
ごうけ
)
ものぞこりぬ
畢竟依
(
ひっきょうえ
)
を
帰命
(
きみょう
)
せよ
と おっしゃるのです。
5
光炎王
(
こうえんのう
)
阿弥陀如来のはたらきは、 私たちの むさぼり、怒り等の心を焼きつくす炎のような はたらきです。聖人は
仏光
照耀
(
せうえう
)
最大一
光炎王仏
(
こうえんのうぶつ
)
と なづけたり
三途
(
さんず
)
の
黒闇
(
こくあん
)
ひらくなり
大応供
(
だいおうぐ
)
を
帰命
(
きみょう
)
せよ
と たたえられています。
6 清浄光 阿弥陀如来のはたらきは、私たちの むさぼりの心を のぞいてくださいます。聖人は
道光明朗超絶
(
どうこうみょうろうちょうぜつ
)
せり
清浄光仏
(
しょうじょうこうぶつ
)
と もうすなり
ひとたび
光照
(
こうしょう
)
かむるもの
業垢
(
ごうく
)
を のぞき
解脱
(
げだつ
)
をう
と
詠
(
うた
)
っておられます。
7 歓喜光 阿弥陀如来のはたらきは、私たちの怒りをとりのぞき、よろこびをあたえてくださいます。聖人は
慈光
(
じこう
)
はるかに かむらしめ
ひかりの いたる ところには
法喜
(
ほうき
)
をうとぞ のべたもう
大安慰
(
だいあんい
)
を
帰命
(
きみょう
)
せよ
と うたわれています。
8 智慧光 阿弥陀如来のはたらきは、すべての煩悩の もととなる、真実を知らない無知を破ってくださいます。聖人は
無明
(
むみょう
)
の
闇
(
あん
)
を破するゆえ
智慧光仏
(
ちえこうぶつ
)
と なづけたり
一切諸仏三乗衆
(
いっさいしょぶつさんごうしゅう
)
ともに
嘆誉
(
たんよ
)
したまえり
と たたえておられます。
9
不断光
(
ふだんこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、やすむことのない はたらきです。聖人は
光明
(
こうみょう
)
てらして たえざれば
不断光仏
(
ふだんこうぶつ
)
と なづけたり
聞光力
(
もんこうりき
)
の ゆえなれば
心不断
(
しんふだん
)
にて往生す
とよろこばれています。
10
難思光
(
なんじこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、私たちの知識では はかり知ることのできないものです。聖人は
仏光測量
(
ぶっこうしきりょう
)
なきゆえに
難思光仏
(
なんじこうぶつ
)
と なづけたり
諸仏
(
しょぶつ
)
は往生
嘆
(
たん
)
じつつ
弥陀
(
みだ
)
の
功徳
(
くどく
)
を
称
(
しょう
)
ぜしむ
とおっしゃっています。
11
無称光
(
むしょうこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、私たちの言葉では表現しようもないものであり、 また、どのようなものを もってきても はかりえない はたらきであります。聖人は
神光
(
じんこう
)
の
離相
(
りそう
)
を とかざれば
無称光仏
(
むしょうこうぶつ
)
と なづけたり
因光成仏
(
いんこうじょうぶつ
)
の ひかりをば
諸仏
(
しょぶつ
)
の
嘆
(
たん
)
ずるところなり
とたたえられます。
12
超日月光
(
ちょうにちがっこう
)
阿弥陀如来のはたらきは、太陽や月の光の はたらきよりも
超
(
こ
)
え すぐれた はたらきであります。それで、聖人は
光明月日
(
こうみょうつきひ
)
に
勝過
(
しょうが
)
して
超日月光
(
ちょうにちがっこう
)
と なづけたり
釈迦嘆
(
しゃかたん
)
じて なおつきず
無等等
(
むとうどう
)
を
帰命
(
きみょう
)
せよ
とおっしゃるのです。
このように はたらいてくださる
阿弥陀如来
(
あみだにょらい
)
の光明は、 すべての世界を、どんな小さな ところであっても見過ごすことなく、照らしてくださるのであります。
生きとし生きるものは すべて、この
阿弥陀如来
(
あみだにょらい
)
の光明に照らされ、はぐくまれているのです。
「
大無量寿経
(
だいむりょうじゅきょう
)
」には、
もし人々の中で この光明に
遇
(
あ
)
うものは、
三毒
(
さんどく
)
の
煩悩
(
ぼんのう
)
が消え去って、 心身ともに和らぎ、歓喜満ちみちて、
善心
(
ぜんしん
)
が おのずから生ずるであろう。
また、もし
三途
(
さんず
)
の苦悩の中にあって この光明を拝むなら、 みな
休息
(
やすらぎ
)
を得て、ふたたび苦しみ悩むことなく、
命終
(
みょうじゅう
)
の後には、ことごとく迷いを離れることができよう。
(
聖典意訳
(
せいてんいやく
)
『浄土三部経』)
と、
説
(
と
)
かれています。
※『女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
』
藤田徹文
(
ふじたてつぶん
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
聴聞の心得
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