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《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第103回
女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
「
法蔵菩薩
(
ほうぞうぼさつ
)
」
更新
2020年3月
6
法蔵菩薩
(
ほうぞうぼさつ
)
「
法蔵菩薩因位時
(
ほうぞうぼさついんにじ
)
【法蔵菩薩の因位のとき】
在世自在王仏所
(
ざいせじざいおうぶっしょ
)
【世自在王仏のみもとにましまして】
覩見諸仏浄土因
(
とけんしょぶつじょうどいん
)
【諸仏浄土の因】
国土人天之善悪
(
こくどにんでんしぜんまく
)
【国土人天の善悪を覩見して】
建立無上殊勝願
(
こんりゅうむじょうしゅしょうがん
)
【無上殊勝の願を建立し】」
昔、一人の王さまが、世自在王仏の説法を聞いて、心の底から感動し、真実を求めたいと真剣に考え、とうとう国も王位も捨て、出家しました。
これが
法蔵比丘
(
ほうぞうびく
)
であります。
法蔵比丘は、師の世自在王仏を たたえ、「どうか私に真実のみ
法
(
のり
)
を説いてください。
私は教えの通り修行して、すべての人たちの苦悩の
本
(
もと
)
を除いやりたいのです」とお願いしました。
ところが、世自在王仏は、「それは あなた自身、自ら考えることです」と、願いを聞いてくださいません。
法蔵比丘は重ねて、「それは私のようなものでは考えもおよばないことです。どうぞ、私がどのような修行をすればよいのかを教えてください」とお願いしました。
そこで、初めて世自在王仏は、法蔵比丘のために、広く二百一十億の諸仏の国と、そこに住む人や、その国の様子を お説きになりました。
法蔵比丘は世自在王仏のお話を聞き、それらの国と、そこに住む人たちの様子を つぶさに見た上で、この上もない素晴らしい願を起こされました。
以上が『大無量寿経』に説かれる法蔵比丘の物語であります。
この物語に対して、「本当に法蔵比丘という人はおられたのですか、それは いつ頃の人ですか」とか、 「それは釈尊をモデルにして考えられた作り話ではないのですか」というような疑問をもたれる人があるかもしれません。
一体、法蔵比丘とは どういう方でしょうか。一体、「法蔵比丘の物語」によって 何が説かれているのでしょうか。
親鸞聖人は、
この一如宝海より形をあらはして 法蔵菩薩と なのりたまいて
無礙
(
むげ
)
の誓いを おこしたまふを たねとして 阿弥陀仏と なのりたまふが故に 「
法身如来
(
ほうしんにょらい
)
」と申すなり。
(『一念多念証文』)
といわれ、また、
南無不可思議光仏
(
なもふかしぎこうぶつ
)
(阿弥陀如来)
饒王仏
(
にょうおうぶつ
)
(世自在王仏)の みもとにて
十方浄土
(
じっぽうじょうど
)
のなかよりぞ
本願選択摂取
(
ほんがんせんじゃくせっしゅ
)
する
(『浄土和讃』)
とおっしゃっています。
すなわち、親鸞聖人は、法蔵比丘とは、真実が 私たちのために現われてくださった姿であり、阿弥陀如来自身であるといわれるのです。
このようにいわれると、「阿弥陀如来なら阿弥陀如来のままでいいのに、なぜ わざわざ法蔵比丘になられたのか」という疑問がでてくると思います。
私は、赤ん坊をあやす母の姿の中に法蔵比丘を味わいます。
赤ん坊が口をあければ、母も口をあける。赤ん坊が「バァバァバ」と わけのわからない声を出せば、母も同じように「バァバァバ」と わけのわからない声を出す。
子を持たない時、私は こういう母子の姿を見て、母親が何も赤ん坊のする通りにしなくても・・・・・と思っていました。
子を持つ親になって、子と同じところに立つ母があるから、子は育つのだなということを つくづく思い知らされました。
真実が真実のままで、阿弥陀如来が阿弥陀如来のままでいてくださったならば、私たちの救いは なりたちません。
私たちと同じところに立ってくださればこそ、私たちの救いが可能になるのです。
因果の世界に生きる私たちのために、因果を超えた真実の世界から、因果の世界に降りてきて、 私たちの手をとって歩もうとしてくださる阿弥陀如来のお姿が法蔵比丘なのであります。
ですから、「法蔵比丘の物語」は ただ単に釈尊をモデルにした物語ということではありません。
また、「いつの時代の人物か」と、法蔵比丘を歴史上の人物として とらえようとするのも見当違いです。
法蔵比丘は、私の手をとり 歩もうとされる阿弥陀如来自身のお姿であります。
「物語」ということに、ひっかかられる人もあるかもしれませんが、「法蔵比丘の物語」は、ただの作り話ではありません。
どうしても理論だけでは表すことのできない阿弥陀如来の真実(親ごころ)を「物語」の形式をもって語られたものです。
さらに いいますと、「物語」の形式でしか表現しようのなかった真実(親ごころ)が そこに語られているのです。
※『女性のための
正信偈
(
しょうしんげ
)
』
藤田徹文
(
ふじたてつぶん
)
本願寺出版社
電話 075-371-4171
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西本願寺の本
本願寺出版社
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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