☆☆ 法 話 ☆☆
【 私の如是我聞 】
お経(雑阿含経)につぎのようなお話がのっております。
お釈迦さまが托鉢を行っておられたときのことです。
ひとりの男がお釈迦さまにむかって、こういいました。
「修行者よ、私は田を耕し、種をまいて食を得ている。あなたも自分で耕し、食を得てはどうか」
すると、お釈迦さまは「私も耕し、種をまいている。」と答えられました。
それを聞いて男はおどろき、またお釈迦さまにたずねました。
「しかし、私たちはだれも、あなたが田を耕したり、種をまいたりしているのを見たものがいません。あなたの鋤はどこにあるのですか。
牛はどこにいるのですか。どんな種をまくのですか」
すると、お釈迦さまは、「私は、私のこころの田を耕しているのです」と、答えられたといいます。
生きてゆくためには、食べ物がなければなりません。道具もお金も必要です。道具やお金を得るために、私たちは田を耕し働いているのです。
しかし、私たちにはそのほかにも、耕さなければならないものがあるはずです。それは「こころ」です。
こころを耕すことは、形がなく目に見えないので、とかくおろそかにされがちですが、私たちにとって、何よりも大切なことではないでしょうか。
最近の科学技術の進歩は、すばらしいものです。おかげで、私たちの生活は便利になりました。
では、幸せになったかというと、必ずしもそうではありません。
多くの新しい機械にかこまれ、余計にあくせくしなければならなくなったのも事実です。
こんにちの日本は、物質的にも経済的にも、本当に豊かになりました。
しかし、反面、こころの荒廃をもたらしたのではないでしょうか。
財産があるがゆえに、争いが生ずることもしばしばです。
それは、「こころの田」を耕すことを、忘れているからでしょう。
物の値打ちをつくりだすのは、こころであること、こころは耕さずに放っておくと、荒れるものであることに気づかなければなりません。
仏法を聞いて、こころを耕したいものです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で
ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、
合掌礼拝して終了します。
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